内容説明
自称“浄土真宗裟婆派”の田舎の寺の住職が、「有難くない」掲示伝道を心がけて30年。道行く人への問いかけが、思いがけない反響を呼んでいる。親鸞・法然の流罪、住蓮・安楽の死罪から満800年。時を超え、まさに「法難」の今こそ、この警世の辞を。
目次
極楽村壁新聞四十八選
時の流れに身をまかせず―二十世紀末から二十一世紀初を生きた一人として(九州・靖国訴訟の一原告から;利食るうとる中曽根―原告の声;総括―九州靖国神社参拝違憲訴訟;ヌチドゥタカラ―命こそ宝;『浄土の回復』を読む;二〇〇〇年夏、歴史が動き始める;「生まれながらの浄土真宗門徒なりや?」―自己半生史;「憲法がわからない」から「守らない」;「共に生きん!勇哲師と」;ゆめゆめ小泉ごときに、すかされまいらすな;父と私と戦争と)
著者等紹介
久保山教善[クボヤマキョウゼン]
1941年、福岡県に生まれる。1966~68年、九州大学大学院博士課程(考古学専攻)在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、主として旧石器時代の研究に専念。1971年より真宗大谷派明願寺19代住職。現在、「東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動」東代表、「自主・平和・民主のための広範な国民連合・福岡」代表世話人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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