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内容説明
アメリカ映画史とアメリカのカウンター・カルチャーに大きな足跡を遺し、2010年5月に惜しまれつつ世を去ったデニス・ホッパー。55年に及んだそのキャリアを通じて、時代のアイコンたちと幅広い交友関係を持ち、芸術的な影響を互いに与えあったきたホッパーと、プライヴェートな部分で、そして仕事の上で20年余に及ぶ交流を持ってきた著者が、素顔のホッパーについて語り続けてきた交遊録。「誰もが知っているデニス・ホッパーの、誰も見たことのない素顔」を貴重な写真の数々と共に浮き彫りにする。
目次
1986→1988―僕にとって本当の意味での“デニス・ホッパーとの出会い”はニューヨークでのことだった。
1989―有志が手弁当で招待した東京デニス・ホッパー・フェスティヴァルに深く心を揺さぶられたデニス。
1990―映画祭と写真展実現のために費やした努力とハードワークへの感謝の意を込めた贈り物として、これを持っていて欲しい。
1991―今日、君に教えたいことは、デニスは僕に「愛してるよ」と言い、僕は彼に「愛してるよ、デニス」と言ったということだ。
1992―当てなど全く無かったが、これまでだって、本気で何かしたいときにはいつも見切り発車だった。
1993―さながらミニ・デニス・ホッパー・フェスティヴァルの様相を呈することになった新作三本連続公開+レイトショー。
1994―デニス、ロジェ・ヴァディム、そして勝新太郎さんと語り、食べ、飲んで過ごした至福の時。
1995―セント・アンドリュースの17番ホールをもしも人間に喩えるならば、それはデニス・ホッパーに違いない。
1996―あなたの本を見たデニスがいかに喜んでいたかをまだ伝えていなかったでしょうか。
1997―お前のことを愛しているし、弟のように思っているんだ。とにかく今日のランチを一緒に食おう。〔ほか〕
著者等紹介
谷川建司[タニカワタケシ]
1962年、東京都生まれ。映画ジャーナリスト、早稲田大学政治経済学術院客員教授。博士(社会学)1989年、日本ヘラルド映画在籍中に仲間たちと第一回東京デニス・ホッパー・フェスティヴァルをプロデュース。編著・訳書多数。1997年、第一回京都映画文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。