内容説明
「N電」として親しまれていた京都市電北野線は1961年の夏に廃止となった。オープンデッキ、トロリーポール、ハンドブレーキと時代が停ったような四輪単車が、狭い道や堀川沿いを走る風景は京都に住む人、京都を訪ねる人に強い印象を与え、いまでも「N電」をなつかしむ人は多い。本書では、京都に住み、ファンとしてN電を長年にわたって撮っていた高橋弘氏の写真を軸にして、N電についてまとめた。
目次
京電開業から北野線廃止までの歴史(日本最初の電車開業;ライバル市電開業 ほか)
N電の車輌(開業時の車輌(20尺車)
24尺幅6尺車 ほか)
他社へ行ったN電(金石電気鉄道;京都電燈福井支社 ほか)
N電最後の日
その後のN電(博物館明治村;梅小路公園 ほか)
N電のいた京都
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
えすてい
6
1961年に全廃になった京都市電10系統北野線(N電)。京都電気鉄道以来の歴史ある路線で、京都市営化後も標準軌に改軌された伏見線と異なり、道幅の狭い西洞院通や中立売通を走るため最後まで狭軌のままで、単車・ポール集電・ハンドブレーキの明治生まれの車両が最後まで走り続けた。開業時の車両は残されてはいなかったが四条通の三線軌条区間では「オールドタイマー」の存在感は引けを取らない。廃止後、明治村・梅小路・アメリカで動態保存されている4両を追うページもある。北野線とほぼ同じルートを通るのが今の市バス50系統。2020/03/27
えすてい
5
北野線で当時から勘違いされてたことに、京都電気鉄道開業時の車両が廃止時まで使われていたということ。勿論、開業時の車両は譲渡されるなどして廃止時には残っておらず、その後増備されていった車体の大型化された車両に移り変わっていった。1988年刊行の保育社カラーブックス「名古屋の電車」(白井良和著)の明治村京都市電解説にも「もとより開業時の車両ではないが」ときちんと書かれている。しかし、昭和の戦後になっても全列車が古典的車両で統一されていたのはRMでもわかるように京都市交通局が路線延命に無関心だったということだ。2024/08/16
rbyawa
1
e176、日本で最初に開通したという電車線である京都電気鉄道が、そののちに京都市電に買収されて、ということは聞いていたんですが、その市電が標準軌だったところ、国鉄軌のままで昭和36年の廃線まで軌間が違ったんだよ、というのはびっくり(そもそも道が狭くてとても広げられなかったんだろうというのもあるみたいですが)。さすがに一部で勘違いされたように電車開通の頃のままではないものの、明治44年くらいの車両が現役だったって、その時点で充分すごいですね、早めに廃止になったのも仕方ないし、あちこちで保存されたのにも納得。2014/06/25