内容説明
歴史と政治と芸術にとって証言とは何か。ホロコーストの歴史的意味を執拗に問い続けるクロード・ランズマンの映画『ショアー』の分析を通じて、歴史的事件の目撃行為という直接性において証言と証言者を特権化してしまうことをどこまでも排しながら、目撃者の「感覚的確信」が解体し、証言が不可能になる瞬間に、証言が本来的自己本質への旅を芸術の介入とともに開始する位相を標定する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
瀬希瑞 世季子
2
鵜飼哲の解説が良い。サルトルとファノンを引き合わせのはランズマンだが、鵜飼はそこからランズマンとサイードの「出会いそこない」を見る。それはイスラエルから始まった『ショアー』の〈旅〉をパレスチナに向かわせるものとなるだろう。高橋哲哉も指摘する所だが、フェルマンのショアー論はショアーをイスラエルというネーションの物語に回収してしまっている感が否めない。そこは注意が必要。2023/02/12
コウ
1
とても重い本です。いや、重量じゃなくって。映画『シヨアー』の分析を通じてホロコーストの歴史的意味と、「証言」の重さ、その本質を抉り出した名著です。映画と合わせて読むことをお薦めします。★★★★★2008/06/25