内容説明
1985年6月21日、ミュンヘン大学のホールに満員の聴衆を集めたチェリビダッケは、ピアノと黒板をふんだんに使い、細心の注意を払って事前に書き上げられた資料に沿って、あるいは即興的に講義を進めた。現象学とは何か、音楽の現象学とは何か。チェリビダッケの音楽観を示す、唯一の講演録、待望の日本語版。コンサート記録付。
目次
音楽の現象学(セルジュ・チェリビダッケ)
挨拶(ルディガー・フォン・カナル)
音楽的なインタープリテーション(解釈)について(ルドルフ・ボックホルト)
ディスカッション
著者等紹介
チェリビダッケ,セルジュ[チェリビダッケ,セルジュ][Celibidache,Sergiu]
1912年、ルーマニア生まれ。4歳にしてピアノの即興演奏を始める。1936年、ベルリンに留学し、作曲、指揮、音楽理論、対位法、音楽学、哲学などを学ぶ。戦争中もベルリンにとどまり、アマチュア・オーケストラの指揮で、一部では話題になる。1945年のドイツ敗戦直後、ベルリン・フィルハーモニーに彗星のごとくデビューし、一時は圧倒的な人気を誇った。しかし、気難しい性格、厳格な指導などがオーケストラに嫌われ、やがてベルリン・フィルを追われるようにして離れる。その後はヨーロッパ各地のオーケストラに招かれ、70年代はシュツゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者、79年からはミュンヘン・フィルハーモニー芸術監督となり、亡くなるまでその地位にあった。1996年、パリの自宅で死去。レコードを認めないなど、独特の芸術観を持ち、異端のマエストロと呼ばれていた
石原良也[イシハラヨシヤ]
1954年神奈川県生まれ。1976年チェリビダッケの演奏を聴きにシュトゥットガルトを訪ねて以来長い交流が始まる。シュトゥットガルトにおいてリハーサル後の少人数の講習会に1週間ほど参加、チェリビダッケから指揮の手ほどきを受ける。1977年・78年の来日時セミナーを受講。すべての来日公演とリハーサル、晩年のミュンヘン公演、リハーサルを聴き、講習会を受講。1995年9月、ブルックナー交響曲第9番の最後の公演(ミュンヘン)が最後に聴いたコンサートとなった。1998年映画「チェリビダッケの庭」(1996)字幕の日本語訳を担当するとともに、名古屋(愛知芸術文化センター)・東京(恵比寿ガーデンシネマ)におけるプレミエ上映に携わる。東芝EMI創立100周年記念としてリリースの始まったCDの解説、「チェリビダッケの庭」DVDの日本語字幕訳、新聞文化欄への寄稿など、音楽家チェリビダッケの実像の紹介に努める。映画監督であるチェリビダッケの子息のプロダクションの日本窓口を務めている
鬼頭容子[キトウヤスコ]
ピアノを小津恒子、井口基成両氏に師事。桐朋学園高等学校を経て桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業。ミュンヘン国立音楽大学にてProf.Koebelに師事。ヴェストファーレン・リッペ国立音楽大学にてProf.Dr.Goebels、Prof.Kretschmar‐Fischer、Prof.Haimbergerらに師事、ピアノと室内楽を学び卒業。名古屋音楽学校講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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