内容説明
音楽に魂を捧げた指揮者が書き遺した、「モーツァルトとバルトーク」論。他に、自伝的エッセイ、共演者・関係者による追悼文、生涯にわたる写真、演奏・録音記録を収録。
目次
第1部 フェレンツ・フリッチャイの著述(私の幼少期と青年期;「そのような教えを喜ばない者は、人としてはふさわしくない」;私の道;モーツァルトとバルトーク)
第2部 フェレンツ・フリッチャイを偲んで(フリードリヒ・ヘルツフェルト編)(写真集;追悼文集(リヒャルト・フリッチャイ氏讃(ヤーノシュ・エンゲ)
フェリ君の思い出(イムレ・パロ)
歌劇“ダントンの死”の初演(ゴットフリート・フォン・アイネム)
エピソード ちょっとした悪戯 ほか))
第3部 フィレンツェ・フリッチャイの資料(ディスコグラフィー;放送録音;演奏記録;年譜)
著者等紹介
フリッチャイ,フェレンツ[フリッチャイ,フェレンツ] [Fricsay,Ferenc]
1914年、ブダペスト生まれ。フランツ・リスト音楽院卒業。指揮者。セゲード・フィルハーモニー、ブダペスト国立歌劇場、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を歴任。戦後はベルリンのRIAS交響楽団首席指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽監督等を歴任、欧米各地に客演。1958年秋ごろより白血病の症状が現れ、1963年、スイスのバーゼルにて48歳で亡くなる
ヘルツフェルト,フリードリヒ[ヘルツフェルト,フリードリヒ] [Herzfeld,Friedrich]
1897年、ドレスデン生まれ。オルガニストとして活動するが、第一次世界大戦中の毒ガスの後遺症で演奏家への道を断たれる。大学で作曲を学び、指揮者となるが1930年に執筆活動に転身。1967年に亡くなる
野口剛夫[ノグチタケオ]
1964年、東京生まれ。中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を修了。作曲を別宮貞雄に師事。現在、東京フルトヴェングラー研究会代表、同管弦楽団指揮者。『新潮45』(2013年11月号)掲載の論説「“全聾の天才作曲家”佐村河内守は本物か」により、第20回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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