内容説明
本を読めば、何かが変わるの?本は、どこでだって誰にだって読まれうる。120年前に書かれたコンラッドの“問題作”『闇の奥』を、いま、この日常の喧騒のなかで読んでみる。「ふつうの読書」と「批評」を行ったり来たりして、「読書」という営為について考えてみよう。
目次
序章 『闇の奥』には辿りつかない長い道のり
第1章 本はどこでだって書ける
第2章 コンラッド、コンゴへ行く
第3章 『闇の奥』への旅を始める
第4章 「意図されたもの」とは何か
第5章 女として読む
第6章 誤読の効用
第7章 ポケットに『闇の奥』を
第8章 余白に書く
終章 日常の読書学
著者等紹介
中井亜佐子[ナカイアサコ]
1966年生。一橋大学大学院言語社会研究科教授。英文学、批評理論。オクスフォード大学博士課程修了(D.Phil.)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
buchipanda3
98
コンラッドの「闇の奥」を様々な観点で精読することで、読書による解釈・批評の意味、加えて日常の中での読書という行為を考察した文芸論。これは読んでいて興味が尽きなかった。「闇の奥」は寓意的な要素もあり多くの解釈がなされ、また批判の対象ともなった。中でも女性や現地目線による議論が印象的。著者は作者の背景や作品、世の文学理論、アチェベやサイードの言及などを通して客観的な捉え方でそれが示す意味を探求する。そして著者はそれら批評の歴史を含めて古典となると言う。読書は過去の失われた日常に触れ、今の日常に気付きを与える。2024/03/02
榊原 香織
73
物理学者の新訳には一切言及していない。英文学者には問題にされてないのか。 コンラッドは英語下手だったらしいのだけど、英語で書いた。フランス語の方がうまかったらしい。彼の小説より人生の方が面白い、と言われるダイナミックさ2024/07/05
masabi
12
【概要】「闇の奥」を題材に読むとは何かを探求する。【感想】「闇の奥」関係では三冊目。「闇の奥」は解釈を誘う書かれ方をしており、多様な批評がなされて現在でも古典の地位を占める。そのうちのジェンダー関係の読解に興味をもった。批評に代表される精読と一見対立する日常での読書が本書の主題だ。精読と断絶されたものではなく、経験や体験に引き付けて読み、ときに作者の意図しない誤読を呼び込む。コンラッドから出発し、批評理論を経由し日常での読書に着地する。2023/06/27
カワサキゴロー
2
一冊の小説でもこんなにも読み方があるのか、、、と驚くともに、様々な読者、研究者にしばき上げられても生き残ってきた「闇の奥」はタフに生き残っていることに何より驚いた。日常の読書というテーマは奥深い、、、2025/04/24
mori-ful
1
「文学作品は批評という試練を乗り越えて生き延びてこそ、古典の地位を確立する。敵意ある批評でさえ、古典の歴史の一部であり、むしろそれは歓迎されるべきものでもある」。「日常の読書」を忘れず、「意図せざる読者」であるのをおそれないこと。2023/03/18
-
- 和書
- 東亜(運命)共同体