内容説明
戦後美術の高揚と混迷の中で“画を描かない実作者”を自らに課した絵描きの軌跡。戦後アヴァンギャルドの時空をキャンバスとして、下地となる言葉を塗り込んでゆく。読売アンデパンダン終焉の現認報告者にしてHRC(ハイレッド・センター)結成の仕掛け人、「自立学校」から「美学校」への道を駆け抜けた“棄民”たる男士の代表的評論集。
目次
絵描きが絵を描くということ(私達にとって表現とはなにか、非表現とはなにか―今泉省彦講義;発想に関するひとつの覚書 ほか)
激動の六〇年代美術へ(展覧会出品者の問題点;関根正二 ほか)
美学校、その中心と周縁(美学校をめぐって―今泉省彦氏インタビュー;森俊光のこと)
表現者たちの相貌(ハイレッドセンターにふれて;黒板を前にしてレクチャーするボイス ほか)
著者等紹介
今泉省彦[イマイズミヨシヒコ]
1931年11月、埼玉県入間郡所沢町の職業軍人の家に生れる。父は1945年7月、フィリピン・ルソン島で戦病死したことを終戦直後に知らされる。日本大学芸術学部を中退、電電公社に勤めながら1958年、美術評論誌『形象』(後『機關』に改名)の創刊同人となり、ハイレッド・センター結成の土壌を用意するなど、前衛美術の最前線で論陣を張った。1969年、現代思潮社に請われて美学校の創設に参画して事務局長、現代思潮社撤収の後には個人として2000年まで校長を務め、多くの才能を輩出せしめた。2010年7月、悪性腫瘍のため死去
照井康夫[テルイヤスオ]
1948年、東京都生れ。成蹊大学卒業後、家電業界紙記者、フリージャーナリストを経て文藝春秋に入社、数多くの書籍編集を手がけた。その間、1982年に今泉省彦の知遇を得る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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