内容説明
アレクサンダーテクニークは、生活のあらゆる活動で自己を意識的に使う方法を開発する手法である。テクニークを展開したF・マサイアス・アレクサンダー(1869~1955年)は、1910年から1941年までに出版された4冊の本に自分の発見を詳しく記述した。その要約が1940年代末、ジャーナリストでアレクサンダーの生徒だったロン・ブラウンによって作成され、アレクサンダー本人のチェックと承認を受けた。要約はそれぞれ、アレクサンダーの本を1章ずつわかりやすくシノプシスにしている。短縮された形のおかげで、アレクサンダーの実践と理論が明確になり、この要約がアレクサンダーテクニークへのすばらしい手引きになっている。
目次
第1部 人類が受け継ぐ至高の恵み(人類が受け継ぐ至高の恵み;意識的ガイダンスとコントロール ほか)
第2部 個人の建設的な意識的コントロール(感覚認識と人類の文化発展;感覚認識と学習および行動学習 ほか)
第3部 自己の使い方(技法の進化;反応に関係する使い方と機能 ほか)
第4部 生き方の普遍定数(使い方がおよぼす一定の影響;使い方がおよぼす一定の影響と診断および病気 ほか)
付録
著者等紹介
ブラウン,ロン・ジョージ[ブラウン,ロンジョージ] [Brown,Ron George]
ジャーナリスト。サウザン・スタンダード社(Southern Standard)で経歴をスタートし、戦前は多くの地方新聞社で従事。戦時中はスカパフローにある海軍に従軍記者として所属。ロイター通信での事務職ののち、後年に発展して国連となるロンドン広報事務や、自由ギリシャ海洋連盟(Free Greek Maritime Union)で、広報担当として従事。またタイムズ紙のコラムやイブニングスタンダード紙のロンドン市民コラムを担当。最後はAP通信社に従事した。幼少の頃から患っていたポリオ(小児麻痺)の影響で背中や脚の筋肉に障害を持ち、結核と肺がんも患っていた。同僚からアレクサンダーに会うよう勧められたことから、レッスンに通い始め、テクニークを深く理解するようになる。レッスンを受けた後は体調が優れ、「地面から3、4インチ上を歩くようだ」と話していた。1946年~47年頃からアレクサンダーのレッスンを受け始め、1947年頃から要約作業を開始した
八木道代[ヤギミチヨ]
アレクサンダー・テクニーク教師(STAT認定)、保健体育教師。武庫川女子大学卒業、神戸大学大学院修了。武庫川女子大学附属中学高等学校専任教諭(1992~2000)オランダ、アムステルダムにあるATCA(Alexander Technique Center Amsterdam)に2002年から3年間所属。指導者資格を取得後、日本に帰国。アレクサンダー・テクニーク教師として活動を開始。個人レッスンを柱に、グループワーク、ワークショップなどを行う。劇団青年座研究所、アマックコーポレーション、スポーツクラブ武庫女などの定期出講や、武庫川女子体育連盟、大阪市立高等学校女子体育連盟、幼稚園親子講座などへの単発出講を多数務める。近年では、非常勤講師として、中学校、高等学校の「保健体育」授業や、大学での「ボディーワーク」授業にてアレクサンダー・テクニークの理論を基礎としたソマツティック教育を展開。また親子のための心身教育にも力を入れている
大田直子[オオタナオコ]
東京大学文学部社会心理学科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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