内容説明
親鸞聖人の没後、鎌倉時代後期に書かれたという『歎異抄』。その作者は、親鸞聖人のお弟子・唯円房だといわれている。「異なるを歎く」その言葉のとおり、親鸞聖人の教えが正しく伝わることを願って書かれた『歎異抄』は、哲学者・思想家・文学者をはじめ、今も多くの人々に読み継がれている。
目次
第1章 悪人こそが救われる
第2章 人の力では、どうにもならない
第3章 親鸞さまの教えを聞きたい
第4章 葬式など、しなくてもいいよ
第5章 弥陀の誓願不思議に助けられ
解説
『歎異抄』原文と意訳
著者等紹介
和田清人[ワダキヨト]
昭和57年生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科修了
太田寿[オオタヒサシ]
昭和45年、島根県生まれ。名古屋大学理学部分子生物学科卒業。代々木アニメーション学院卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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それいゆ
27
親鸞の教えは「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」、この一文に尽きます。五木寛之の「親鸞」をもう一度読み返してみたくなりました。唯円について書かれたものも読んでみようと思います。 2021/03/16
HIRO1970
26
なるほど、 一部だけでも、 理解が進みました。 2023/01/31
Natsuko
19
歎異抄を読了するも難解で理解出来ず、マンガに手を伸ばす。悪人正機説の真意等、今度こそ分かりやすく学べたが、何より心に落ちるものがあった。賢い少年平次郎(後の唯円)が、親鸞に出会い学び続け、物乞いとなった幼馴染と再会し、恋心に気づき結ばれる…そんな姿が初めは意外だったが親鸞も法然も唯円も、私達と同じ人間、親がいて仲間がいて恋もして、愚痴も妬みも持ち、煩悩にまみれていたのかもしれないということ。幼馴染のアサ視点のサイドストーリーが読みたいと言ったらあまりに不届き者過ぎるだろうか。2021/08/28
aloha0307
12
悪人こそが救われる:悪人正機の摂理の入り口をしっかり理解しました。注意が必要なのが、ここで言う”善人”とは、「阿弥陀仏の本願を疑い、自分の力で極楽に征けるとうぬぼれている人」ということです。いわんや悪人(すべての人間)をや...と続くのです。2025/04/08
れい
7
【図書館】異なるを嘆いた書という意味だったんだ!親鸞の教えを曲解するものが出てきたことを嘆いて、正確に伝えようと挑戦した書物のようだけど、やっぱりこれでも曲解されるのでは。『一切の善は無用』とか言われると‥‥で、『悪人の方が往生できる』と言われたら、正しくいきようとすること自体バカらしいと思えるかも。実際は、生きているだけで罪深い我らは、等しく罪人であり(キリスト教みたいだな)、罪深きものこそ阿弥陀仏に帰依することで現世での幸せに近づく‥‥ということのようだが。漫画は分かりやすかった。2021/11/10
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