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内容説明
その「お嬢さん」たちは、駅前に、公園に、公共施設に、あられもない姿をさらしています。それが芸術であるとみんな思っていますが、ジロジロ見るのははばかられます。「芸術なのに正視できない」。この違和感の正体を探るべく、街を探索してみました。
目次
第0章 総論(お嬢さん、なにゆえそこに?;路上の困惑)
第1章 街の中や公園の突然裸婦(スポセンのイキな受付嬢;汚れちまった優しさ ほか)
第2章 施設の囲われ裸婦像(車窓の令嬢たち;東京工科大学蒲田キャンパスの裸婦群 ほか)
第3章 女神三姉妹揃い踏み(上京組応援団;道潅山シスターズ ほか)
第4章 気になる番外(空を見る少女;越後獅子? ほか)
著者等紹介
川副秀樹[カワゾエヒデキ]
1949年東京都立川市生まれ。中央大学経済学部卒。Gデザイン事務所経営を経て著作・編集業へ。民俗学や庶民信仰・民間神仏の研究・取材を重ね、飯縄信仰・第六天信仰・憑物などの関係著書多数。2003年~東京都高尾パークボランティア会員(19年現在副代表)。06年~某神社にて神職体験。10年~武蔵野市「古文書会」会員。現在、著書読者を対象とした「東京発掘散歩隊」を主催。米国の1960~70年代黒人音楽(Soul Music)にも造詣が深く自らグループを組み年数回のライヴを実施(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きいち
24
見過ごしてしまっているけれど、確かに、なんでこんな公共の場所に裸の女の人の銅像があるの?と、東京近辺の裸婦像たちを現地訪ねて収録。あくまで素人観察者としての見方に徹し、作品というより路上観察学的な物件として観察する。◇そもそも、なぜ裸婦=平和なの?まあ、だから公共の場に置かれるわけだが、きっとそれだけじゃない。著者は揶揄的に語るが、でもその揶揄の先にあるもの、彫刻家の熱意の源(エロさも含めて)がこの文化の根っこにあって、それは大切なもののような気もする。◇それにしても、いくつかはほんとにエロいな。2020/01/12
kenitirokikuti
8
街角のブロンズ裸婦像を集めたもの。木下直之『股間若衆』シリーズの新刊と思ったら、別のひとだった。赤瀬川の超芸術トマソンふうの扱い。日本初の街頭裸婦像は、三宅坂小公園の小公園の《平和の群像》こと電通の「広告人顕頌碑」。台座は《寺内元帥騎馬像》用のもの(戦中、すでに金属物資として供出されて空っぽだった)。2019/12/08
hitotak
7
駅前や公共施設、公園などに佇む裸婦の銅像を集めている。元々は軍人などの銅像が立っていた場所に、戦後に平和の象徴として置かれていったという像も多い。しかしこうやって一度に裸婦像を見ると、こんなに沢山、特に疑問も持たれず街の中に存在することが改めて不思議に感じる。同じ作家の作品をまとめて見ると体つきや顔立ちで同一のモデルを使っているとすぐわかるし、日常生活ではありえないポーズをとっている作品も多い。モデルさんたちは街中に自分の裸の像があちこちに建っているのをどう感じていたのかなどつい考えてしまった。2020/07/12
坂津
1
街中で一度は目にしたことがある裸婦像を豊富な写真と共に取り上げた本。東京の裸婦像が中心で地方の裸婦像は掲載されておらず、戦後の日本で裸婦像が造られるようになった経緯についても簡単に触れられているものの(菊地一雄「平和の群像」と電通の関係、長崎平和公園の「平和祈念像」で著名な北村西望の変節)「論考」と呼べるほどには深く掘り下げられていないため、読後感に若干の物足りなさがある。東京の裸婦像をまとめたガイドとしては参考になる。本書に掲載された裸婦像では、浦山一夫、圓鍔元規、川崎晋照の作品がとりわけ好み。2020/08/30
h_hukuro
0
公園や駅などの公共施設には、なぜ裸の女性の像が立っていて、誰も疑問に思わないのだろうと考えていたところに見つけた一冊。同じことを考える人は他にもいるのだと安心しました。裸婦像に限らず、パブリックアートに関心を持つためのきっかけになればと思います。2023/05/21