叢書ビブリオムジカ<br> 「聴くこと」の革命 - ベートーヴェン時代の耳は「交響曲」をどう聴いたか

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叢書ビブリオムジカ
「聴くこと」の革命 - ベートーヴェン時代の耳は「交響曲」をどう聴いたか

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  • サイズ A5判/ページ数 324,/高さ 21cm
  • 商品コード 9784865591309
  • NDC分類 764.31
  • Cコード C1073

出版社内容情報

交響曲はなぜ偉大で崇高なのか?
音楽を聴くことはいつから真理の探究と等しい行為になったのか?──

1800年をまたぐ数十年間に、人々はそれまでとは違うやり方で音楽を聴き始める。
器楽曲は思想を伝え、真理を告げ、理想の国家を表象する媒体となった。
美学上の革命と社会革命とが合流を遂げたこの時代、聴衆の〈耳〉は交響曲に何を聴くようになったのか──。
ベートーヴェン時代の人々の感性に大胆にアプローチした画期的な音楽論。

現在もっとも注目を集める音楽学者ボンズの主著Music as Thought(2006)を、日本を代表する作曲家と気鋭の音楽学者が翻訳。


プロフィール

マーク・エヴァン・ボンズ(Mark Evan Bonds)
ノースカロライナ大学チャペル・ヒル校教授(音楽学)。アメリカおよびドイツの大学で学び、ハーヴァード大学で「ハイドンの偽再現部と18世紀におけるソナタ形式の知覚」により博士号。主な研究分野は、古典派およびロマン派の音楽(とくに器楽)の歴史と、それにかかわる思想。多くの著書があり、近著には、『絶対音楽』(2014)、『西洋音楽史』(2003)など。また、学術誌『ベートーヴェン・フォーラム』の編集主幹も務めた。

近藤譲(こんどう・じょう)
作曲家。お茶の水女子大学名誉教授。アメリカ芸術・文学アカデミー外国人名誉会員。作曲とともに、活発な執筆活動を展開。主著に『線の音楽』『聴く人(homo audiens)』(以上、アルテスパブリッシング)、『音を投げる』『〈音楽〉という謎』(以上、春秋社)、『耳の思考』(青土社)など。また、主な訳書に、ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』(共訳)、ケージ『音楽の零度』(編訳)(以上、朝日出版社)など。

井上登喜子(いのうえ・ときこ)
お茶の水女子大学助教(音楽学)。お茶の水女子大学で学び、同校で「19世紀ドレースデンの合唱協会の社会史研究」により博士号。東邦音楽大学准教授を経て現職。主な研究分野は、19世紀ドイツの音楽社会史および近代日本の西洋音楽受容史。近年の論文としては、「戦前日本におけるオーケストラの曲目選択に関する実証研究」など。


CONTENTS



プロローグ 思いがけない曲種──交響曲の興隆

第一章 想像力をもって聴くこと──美的関心の革命的変化
 カントからホフマンへ
 観念論、そして、知覚についての知覚の変化
 観念論と聴取の新たな美学

第二章 思考としての聴取──修辞学から哲学へ
 修辞学的枠組みにおける聴取
 哲学的枠組みにおける聴取
 哲学としての芸術

第三章 真理を聴く──ベートーヴェンの第五交響曲
 無限なる崇高
 認識としての歴史
 意識と無意識の統合
 有機的まとまり
 崇高なるものを超えて

第四章 美的国家を聴く──コスモポリタニズム
 交響曲、共同体の声
 個人と社会の統合:差し迫った要求
 有機的組織体としての国家
 シラーの美的国家の思想
 ゲーテの教育州

第五章 ドイツ国家を聴く──ナショナリズム
 ドイツ・ナショナリズム
 「ドイツ的な」曲種としての交響曲
 音楽祭:演奏のポリティックス
 民主制としての交響曲

エピローグ 形式を聴く──絶対音楽という避難所

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

さえきかずひこ

8
19世紀初頭に交響曲(という形式)がドイツの観念論哲学と結びつけられ、それが公的かつ社会的・政治的な媒体として受け取られるようになった過程を多分野に渡る資料を駆使して解説する一冊。交響曲のこのような聴かれ方、用い方はなんと1950年代まで続き、そのあとは、ふたたび純粋な藝術表現の形式として受容されるようになる、というところまで突っ込んで述べられています。クラシック音楽と哲学の関係に関心がある方にはご一読をオススメします!2017/12/28

植岡藍

1
ウィーン古典派の時代の音楽の聴かれ方と思想、哲学との繋がりを説明する本。様々な引用がなされ、興味深く読めるが、一方でそうした転換が起こった理由については明らかにされない。ホフマンはなぜベートーヴェンをそのように聴いたか(ハイドンやモーツァルトではなく)という事が気になった。当時の時代を知る資料的な本としては面白い一冊。2025/05/03

z

0
Music as Thought: Listening to the Symphony in the Age of Beethovenの翻訳。2016/10/13

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