内容説明
雑草、害虫、ゴミ、悪臭・腐臭、死、排泄、にごり、汚染…“汚穢”を避けようとする人間の行動や経験を、人類学、倫理学、環境社会学などの視点から考察する。
目次
1 ぽたりぽたり―ざわつく暮らし(だらしない―生活の旋律(酒井朋子)
きりがない―ゴキブリの足音が聴こえた朝(中村沙絵) ほか)
2 きちりぴかり―清められ離される(浄化する―ライプニッツのドイツ語改良論(古田徹也)
嗅ぎわける―嗅覚の地理(原口剛) ほか)
3 じわりぞわり―汚穢から生まれくる(笑う―グロテスクな肉体の躍動(酒井朋子)
おぞましい―死体にまつわる不死性(斎藤喬) ほか)
4 そろりそろり―汚染の向こう側(かきまぜる―にごりの海の透明度(福永真弓)
のぞきこむ―農業危険物との遭遇(オスカー・レン) ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アナクマ
31
汚れとは、自身の内側から物理的・精神的に生じるものではないか。それを直視し交わることで開ける視座があるはずだ、という論考集。様々な境界線。雑草。農薬。断捨離、死体、介助。古民家暮らしでゴキブリ受容。◉戦前の沖縄では97%の人が養豚を行っていた。その研究から「豚が汚いから遠ざけられたのではない。人から遠ざけられた結果、汚くなったのである(概念が生起した)」「汚くなる」ことから始めよう、と著者。◉自身の手を汚すこと。自然資源/生命を奪うこと、原罪を負うことをわざわざやってみる体験会。もっと前景化していい点だ。2024/05/21
owlsoul
10
我々は日常の秩序を維持するために汚穢を遠ざける。排泄物は瞬時に流され、ゴミは回収され、害虫は駆除される。生理的嫌悪感に裏打ちされたその強力な浄化圧は、ときとして暴力的・差別的に不浄なものを峻別し、排除する。故に、自身から溢れる汚穢は他人には秘すべきものとなるが、一方でそれの共有は親密さの証やエロティックな行為ともなる。豚と一緒に暮らす人々が、生活環境を区別した途端、豚を汚く感じはじめるように、我々の生理的嫌悪感は文化にも左右されるようだ。だとすれば、汚穢の峻別に対する倫理のようなものも必要とされるだろう。2025/02/11
くくの
9
汚れに関する16のエッセイアンソロジー。虫、文化、肉体、臭い、環境と多様な切り口から語られる汚れ。共通するのは汚れを感じるのはそれだけ汚穢と近づいているということ。その近さは忌避されるものとなり、反対に愛着を感じる対象ともなる。穢れに魅了されるのはなぜなのかと知りたくて読んだ。その理由はきっと、汚穢を語るとはどうしようもない生を語ることであり、生きている以上避けられない。それ故に穢れが強い場所には同時に強烈な生の存在があるからなのかもしれない、なんて思った。2025/04/23
於千代
2
人類学・哲学・倫理学といったアカデミックな視点だけでなく、演出家や写真家など多様な立場から「汚穢」について論じた一冊。 日常に潜む「汚さ」や介護、環境問題など、さまざまな切り口からの考察が展開され、「汚穢」について徹底的に考えさせられる。全編通じて興味深いが、特に印象に残ったのは沖縄の豚の話。かつては当たり前だった豚の匂いが、産業化によって隔離されると「臭い」ものになっていく。 我々の社会は、「綺麗さ」を追求するあまり、逆に「汚さ」を生み出しているのではないか、そんな風に思わされた。2025/03/07
hirokoshi
1
「けがれたもの」と「聖なるもの」という対極に位置するように思えるものが、ともに「隔離されるもの」として扱われるという指摘は、サンカの本に出てきた呪術的能力者?の説と通じるなあ。写真家 石内都氏の「写真は真実を写すというが、創作」という捉え方は新鮮だった。ドキュメンタリーも人の手で撮影・編集されてる限り、人の意図からは逃れられないもんな。2025/01/14