目次
入門 ジョン・エリス・マクタガート「時間の非実在性」(時間上の位置を区別する仕方には、A系列とB系列の二種類がある;時間にとって基礎的なのはA系列である;時間は実在しない ほか)
対談 輻輳する不思議―“今”と“私”は存在するか(「時間は存在しない」―マクタガートの時間論;“私”とは何か;時間論と“私”論の接点 ほか)
論文 時間の実在性(この“現在”としての“私”;現在からの退却;純粋過去、そして自由 ほか)
著者等紹介
大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年生まれ。社会学。個人思想誌「THINKING「O」」主宰。『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』で河合隼雄学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
54
再読。マクタガートの時間不存在証明への反論は、時間が存在するという前提があるために退けられる、というのだが、できごとについて、過去性・現在性・未来性のいずれかを持つ場合、残りの二つは、A系列が時間の基本なら、両立も鼎立もありえないのだから持てないし、持たない。したがって、持っているから矛盾だという証明はできないのではないか、と思った。しかしこんな単純な考えは、どこかに穴があるような気がする。<今>と<私>の、驚くほどの類似した構造、神だからわかりえないことがあるなど、類書が読みたくなる論が満載でした。2022/02/17
へくとぱすかる
42
現実にただひとつの世界を開いている<今>や<私>について、どれだけ驚けるかが、永井哲学を理解……ではないな、親身に読み進められるかのバロメーターなのだろう。マクタガートの時間論の最もラジカルな点は、もちろん「時間は実在しない」という結論。これを矛盾のまま包括して対談に臨んだのが永井さん。大澤さんはそれに対して、マクタガートへの反論を対談後に書く。読み終わって、哲学は感覚が大切なのだとつくづく思う。現実には不可能な思考実験の当否を判断するのは、結局感覚・感性だからだ。2018/09/30
ころこ
23
大澤の言葉で永井哲学を別角度から光を当てています。本書は、①マクタガート『時間の非実在性』と付随した論点の解説、②<私>や<今>の類比における永井の考え方、③以上を踏まえた大澤の展開、に分類されます。まず、①が非常に上手く、簡潔にまとめられています。本家の永井訳よりも読み易いので、本家を読まなくても良いのではないかとすら思わせます。大澤の要約力と理解力に改めて驚かされます。同時に、理解されることと、されないこととの相克にある永井の哲学の秘密が、言葉の使い方のこだわりに表れていたのだと気が付かされました。要2018/06/03
K
11
永井と大澤の対談は内容が濃く、一緒に考えながら話を進めている感じがしました。大澤さんは、話を整理し、展開させるのが非常に巧みだなと思いました。この前読んだ永井と森岡の〈私〉に関する本よりも収穫もあり、読んでいて嫌な気分になりませんでした。本書には、大澤の論文「時間の実在性」も収録されており、レヴィナスを介した〈他者〉から、過去も未来も説明するという点は、個人的に新鮮であり、興味深く読めた。〈私〉と〈他者〉は同時存在できない→退却した〈他者〉→過去性。〈他者〉→超越、自由→未来性という感じでしょうか。2022/07/15
kentaro mori
5
マクタガート『時間の非実在性』への入門編。とてもわかりやすい。そして奥深い。<私>と「現在」の共通性。●人間は百年前にも存在したし、おそらく百年後にも存在するでしょうが、<私>がいるのは今だけ、この数十年だけです。この<私>とは何なのか。●もしかすると、<私>に関する問題の根源の根源も言語のこの仕組みにあるかもしれないです。ここでいま問題にしているような時間に関する問題も、実際の時間のあり方そのものの問題というよりは、言語が手なずけた後の時間のあり方に関する問題である可能性が強い。2018/07/06




