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内容説明
孤独な高校生のアリソンは新学期に、新しく赴任してきた英語教師のノース先生と出会う。先生は彼女の文才を見出し、個人指導をするように。コーネル大学を卒業し、『ロリータ』を愛読する知的でセクシーな彼に惹かれてゆくアリソン。しかし、それは恋愛に見せかけた抑圧の日々のはじまりだった…。数々の作品で描かれてきた「大人の男と少女の恋愛」という図式の不健全さを暴き、少女が自らの知性でそこから逃れるまでを綴ったノンフィクション。
目次
第1部 ニンフ
第2部 囚われの身
第3部 解剖
著者等紹介
ウッド,アリソン[ウッド,アリソン] [Wood,Alisson]
作家、英文学講師。ニューヨーク大学で美術学修士号を取得後、同大学で創作講座の教鞭を取る。“ニューヨーク・タイムズ”、“ヴォーグ”、“ヴァニティ・フェア”などに寄稿。文芸コミュニティ・webマガジンのPigeon Pagesを主宰している。『わたしが先生の「ロリータ」だったころ―愛に見せかけた支配について』が初の著書である(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
100
17歳の文学少女が、26歳の高校教師と秘密の恋愛をした。少女は卒業すれば結婚を夢見ていたが、高校教師は彼女だけではなかった。このつらい体験を語るだけではなく、教師が「ロリータ」を愛の小説だと事あるごとに朗読してみせたが、彼女が大学で学んだ「ロリータ」の講義を聞き、今まで何年間も教え込まされてきたこととの違いに愕然となる。小説は常にハンバートの視点で描かれ、ロリータは愛称に過ぎない。ロリータは死に、著者は生き延びた。彼女は現在ニューヨーク大学で学生に授業でロリータを教えている。そして学生を見守っている。2022/08/13
松本直哉
34
『テヘランでロリータを読む』と併読したい一冊。ロリータの物語をなぞるように生きることを強いられ、そこから回復するのに何十年もかかった著者の痛みは、恋人から贈られたナボコフの書物を焼く場面で頂点に達する。男の視点で愛の物語と誤読されてきたロリータを、ロリータの視点から虐待と支配の物語として読み替えることで、同時にリアルの恋人の支配から脱却する過程が生々しい。『テヘラン』の著者と同じように、次の世代の女性とともにロリータの新しい読み方を考える終盤は希望に満ちる。女性による女性のための文学史が書かれるべき時。2022/06/13
しんすけ
19
ロリータを体験した女性が、その経緯を綴った書。だが本書の素晴らしさは、その体験を超えたところにある。 アリソンはかなり精神的に不安定な少女だったように観える。 だが文芸的感性には光るものを持っていたようだ。平凡ではなかったということなのだろう。 それに気づいたのがニック・ノースという高校教師だった。 最初は美男の教師に女生徒が憧れるような物語が、展開する。 だが、アリソンが自分の精神の不安定さを打ち明けたあたりからおかしくなってくる。2022/06/28
真琴
16
これがノンフィクションだなんて・・・。精神的に問題を抱える女子高生(アリソン)と『ロリータ』を愛読するちょっとセクシーな男性教師(ニック)との歪な愛の話。でもこれ、愛の話ではなく性的虐待の話。アリソンがニックからの抑圧に気づかず愛だと信じ泥沼にハマっていくその様がもどかしく、ニックに対して憎悪の感情しか抱きませんでした。こういう男女関係(親子関係とかも?)は実は至る所のあるのかもしれません。DVや子供や親への虐待など。意識的に相手を抑圧し自分の支配下に置こうとする様を想像するとゾッとします。 ★★★☆☆2022/04/06
たおちゃん
16
読んでる最中、ニックのあまりの醜悪さに、誇張でなく吐き気を催すほどだった。ひたすらに読むのがしんどい。悲しみと後悔と怒りに満ち満ちた作品、この経験をふまえてアリソンが教師として『ロリータ』を題材として扱い、過去に苦しめられながらも生徒たちと充実した時間を過ごせていることにホッとしたが、それでもしんどいもんはしんどい。他人事じゃない。「ロリータ」はニンフェットではなくただ被害者をあらわす言葉、本当にその通り。これは本当に日本のどこでも起こりうることだし、起こってきたことだろうし、いまから起ころうとしてること2022/04/06