内容説明
われわれが用いる言葉のうち、およそ修辞的でない言葉など存在しない。美学的崇高の背後にある修辞学的崇高の系譜を、ロンギノス『崇高論』からボワローらによる変奏を経て、ドゥギー、ラクー=ラバルト、ド・マンらによるこんにちの議論までを渉猟しつつ炙り出す。古代から現代へと通底する、言語一般に潜む根源的なパラドクスに迫る力作。
目次
第1部 『崇高論』と古代(真理を媒介する技術―「ピュシス」と「テクネー」;情念に媒介されるイメージ―「パンタシアー」と「パトス」;瞬間と永遠を媒介するもの―「カイロス」と「アイオーン」)
第2部 変奏される『崇高論』―近代におけるロンギノス(崇高論の「発明」―ボワロー『崇高論』翻訳と新旧論争;言葉と情念―バーク『崇高と美の観念の起源』と言語の使命;「美学的崇高」の裏箔―カント『判断力批判』における修辞学)
第3部 崇高なるパラドクス―二〇世紀における「崇高」の脱構築(放物線状の超越―ミシェル・ドゥギーと「崇高」の詩学;光のフィギュール―フィリップ・ラクー=ラバルトと誇張の哲学;読むことの破綻―ポール・ド・マンにおける「崇高」と「アイロニー」)
著者等紹介
星野太[ホシノフトシ]
1983年生まれ。専攻は美学、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、金沢美術工芸大学講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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