内容説明
資本主義という宗教の土台にある“神聖を汚すことのできないもの”を侵犯せよ。権力の諸装置を無力化し、権力が剥奪していた空間を人々の“共通の使用”へと返還せよ―来たるべき世代の政治的課題としての涜神のありようを明かす小さな重要書。
目次
ゲニウス
魔術と幸福
審判の日
助手たち
パロディ
欲求すること
スペキエース的な存在
身振りとしての作者
涜神礼賛
映画史上最も美しい六分間
著者等紹介
アガンベン,ジョルジョ[アガンベン,ジョルジョ] [Agamben,Giorgio]
1942年生まれ。イタリアの哲学者
上村忠男[ウエムラタダオ]
1941年生まれ。思想史家
堤康徳[ツツミヤスノリ]
1958年生まれ。イタリア文学研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
61
散文詩のような、幻想文学のような、文学論のような、言語学のような。ベンヤミンもフーコーもほとんど読んでいないしイタリア文学にも暗い為、理解したとはとても言えないのだが、それでも解る部分は非常に興味深い。助手や写真から想像が全く出来ないものを切り開いていくのは、現実の断面を描いた幻想文学みたいだし、イタリア文学を論じた「パロディ」では『神曲』は聖書のパロディという指摘に感じ入り、「瀆神礼賛」では日本における聖と賤との共通に思いを馳せる。「宗教としての資本主義」を読んだ上で、もう一度読み返したいなあ。2016/04/09
34
20
アウグスティヌスからフロイトに至るまで、西洋の思想家たちは「ままならぬもの」との対峙を通して主体の理論を練り上げてきた。ここには単純な身体と精神の二分法があるのではなく、われわれにとってもっとも親密であると同時に非人称的なものの、より曖昧で混迷を極めた「閾」がある。そのような閾を脱構築するかに見せかけて、アガンベンはただの一語でもってそれを名づけ、またその名を解く。人間にとってほんとうにままならぬもの、その歴史的な残余は、生が逃れ難くも幸福に割り振られているという(政治的な)事実にあるのかもしれない。2017/06/14
かりあ
9
「瀆神礼賛」が圧倒的。1日で読了した。全然わからないところが多かったけど、とにかく「瀆神礼賛」はそんな私にでも割とわかりやすい。ベンヤミンを読まねばと思う。2016/01/31
彗星讃歌
2
「瀆神礼賛」に圧倒的な衝撃を得た。神を冒涜しその聖性を失わせる行為、資本主義はキリスト教のこの動きを最大限に活用しているとして、その本質を捉えようとした。 この壮大な思想を理解するには未熟すぎるので、修行の後に再度読み直したい。2022/12/01
コマイヌ
0
イタリア文学を知らない以外にも概ねよく分からないが理論も傍証もないからその気もあまりない。ゲニウス・スペキエース的な存在・身振りとしての作者は目新しい話でないがこの人の喋り方ではこうなるのかという感じ。魔術と幸福はこれを言い切っていいのかと思う、私達はその仕事の対価で幸福を得る事は出来ない、子供の時それを持たないと知った魔術によってのみ得る。瀆神礼賛の一部が興味深い、世俗化と区別される瀆神行為は新しい使用を開くが資本主義はそれを許さない。2016/02/20