出版社内容情報
なぜ寺山修司は、基地の町の中学教師に、75通もの手紙を書き送ったのか。
病床にあった〈才能〉を、物心ともに支えた女性の戦中戦後。
町の歴史をたどりながら記す、二人の交感。
内容説明
なぜ寺山修司は、基地の町の中学教師に、75通もの手紙を書き送ったのか。病床にあった“才能”を、物心ともに支えた女性の戦中戦後。町の歴史をたどりながら記す、二人の交感。
目次
生いたち
八戸高等女学校へ―一九三三(昭和八)年
仙台へ―一九三七(昭和一二)年
母子二人の再出発―戦後の三沢
寺山修司との出会い
高校生の寺山修司との交流
十代歌人“寺山修司”の登場―一九五四(昭和二九)年
寺山修司第一作品集『われに五月を』の頃―一九五七(昭和三二)年
不本意な再会と最後の手紙
創作の原点「木馬のゆめ」―一九六二(昭和三七)年
民話の語り手として
晩年
著者等紹介
小菅麻起子[コスゲマキコ]
1966年、京都市生まれ。1986年の「テラヤマ・ワールド 寺山修司全仕事展」をきっかけに寺山研究をはじめる。1989年、天理大学国文学国語学科卒業。私立高校教諭を経て、2006年、立教大学大学院日本文学専攻課程博士修得(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ぐうぐう
37
評伝や雑誌の特集、あるいは企画展において、寺山修司の生涯を紹介する時、必ずと言っていいほど登場するのが、出身中学で国語教師をしていた中野トクに宛てた手紙だ。寺山が中野に送った手紙は75通で、彼がネフローゼで入院中の時期が一番多い。病床で書かれたその手紙には、精神面で中野に頼るだけではなく、経済的援助も要求していて、中野はその都度、寺山に金銭の支援をしている。そんな親しい間柄から、中野は寺山の恩師だと理解されがちだが、(つづく)2022/08/03
さすらいのアリクイ
5
本のタイトルに登場している「中野トク」さんは青森で学校の先生をされていた方。この本はあの寺山修司が学生時代に中野さんと出会い、中野さんへ書いた手紙の内容を紹介しながら寺山修司と中野さんの行動、人生を紹介するというスタイルの本。ふたりを合わせた伝記…なのかもなと。寺山修司は中野さんの教え子ではなく、中野さんの教え子だった人物と寺山修司が友達で、寺山修司の境遇を案じた友達が寺山修司に中野さんを紹介し、そこから時々寺山修司が中野さんの家にすき焼きを食べに行ったり手紙を書いたりする間柄になったと。2022/06/17