内容説明
ヌーヴォー・ロマン作家サロートが到達した、伝記でも回想でもない、まったく新しい「反‐自伝小説」。「私」と「あなた」の対話ではじまる、言葉とイマージュと記憶の物語。サロート円熟期の実験作がついに44年ぶりに邦訳刊行!
著者等紹介
サロート,ナタリー[サロート,ナタリー] [Sarraute,Nathalie]
1900‐99。フランスの女性作家。モスクワ近くイヴァノヴォの、裕福で教養あるユダヤ人家庭に生まれる。子供時代、離婚した両親のもとを行き来し、パリで再婚した父のもとで育つ。大学で法律や英語などを学び、自身も弁護士として働くかたわら、文学創作に着手する。1939年、『トロピスム』を出版。第二次世界大戦中はユダヤ人として辛い体験をするが、戦後はヌーヴォー・ロマンの旗手として活躍し、人間の心理以前の無意識の作用、言葉になる以前の感情など、微妙な心の動きを探求、表現した
湯原かの子[ユハラカノコ]
上智大学仏文科卒、九州大学大学院、上智大学大学院を経て、パリ第4大学博士号取得。評伝作家・翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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藤月はな(灯れ松明の火)
78
ここまで自分の子供時代に対して誠実で精緻に描き込まれた物語(私小説?半自伝?)もないだろう。ほたほたと吐露される子供時代の思い出。それに対して鋭い客観性を求める内なる声も相俟って静謐に心の中に沈み込む。「これは私の子供時代にも感じた事だ」とある種、傲慢なデジャヴを覚えながら。周囲に呆れられたとしても親の言いつけを頑なに守る癖。親の愛欲しさに付き纏い、疎まれ、伝書鳩のように伝えて不和、若しくは相手に傷すらも付けられなかった思い。離れて自覚する、愛して依存していた相手への失望と侮蔑。寄る辺のなさを抱えながらも2020/10/11
ケイトKATE
29
ナタリー(ナターシャ)は裕福な家庭に生まれたが、両親はナタリーが幼い時に離婚。両親は早々に別のパートナーと暮らし、父と母の家へ交互に暮らす子供時代はナタリーにとって辛いものであった。特に、実母と継母に対する愛情を素直に受け入れられない気持ちは共感できるものがあった。本書はタイトルのとおり、子供時代の思い出を”私”と”あなた”の対話のみで語られる異色の散文作品であるが、心の奥底にある感情を繊細で詩情豊かな言葉で紡いだ文章に、私は非常に魅了された。2020/09/11
かもめ通信
20
“自伝的小説”であるはずのこの作品には、作家自身を思わせる人物と、同じ記憶を共有しているらしいもう一人と、語り手が二人いる。そして二人は常に対話している。一方は記憶をたぐり寄せて「子供時代の思い出」を語ろうとし、もう一方は、その「思い出」の裏に潜む語り手の意識を引き出すかのように、出来事のひとつひとつに再検討をうながす。ああもちろんそうだ。いつだって子供は鋭い観察者だ。2021/08/02
rinakko
11
言葉に対して直ぐに向き合う、その姿勢の厳しさ苦しさが切実なまでに伝わってくる文章だった。美しく身勝手な実母がいて、再婚した父と奇異なほどに頑固な継母がいて、両親の間を行ったり来たりさせられるナターシャ。自分では居場所を選べないのだからここにいるしかないという諦念も、誰にも心を打ち明けられない…という大人への失望も、「ああわかる私も知ってる…」と思い「いや、簡単に分かった気になってはいけない」と思い直した。訳者解説の、内なる対話者を異性と決めつけない(人の深層意識に男女の性別はない)解釈を知り、興味深かった2020/08/11
nranjen
7
最近、読書にさける時間がなく、勇んで買ったこの本はしばらくお預け…、でふと本を手に取ると、止まらず読んでしまうという最近のパターン。ゆっくり味わって読みたかったのにまたとばしてしまったと後悔。子供時代、といっても80過ぎた著者が浮かび上がらせる過去の記憶のはずなのだが、複雑な家庭環境における繊細な心模様が紡ぎ出されていて、新鮮な驚き。対話形式といっても、「ひとりぼけつっこみ」みたいで、それが記憶に陰影をつけるのに効果を発揮している。原文も読みたいし、サロートの他の作品も読みたくなった。全集が欲しい。物欲。2020/11/15
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