内容説明
2018年、明治150年―そして天皇退位、TOKYO2020。新たな時代の予感と政治経済の後退期のはざまで今、考えるべきこととは何か。戦後論の第一人者が、失われた思想の可能性と未来像を探る批評集。
目次
1 二一世紀日本の歴史感覚(もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために―丸山眞男と戦後の終わり;三〇〇年のものさし―二一世紀の日本に必要な「歴史感覚」とは何か)
2 スロー・ラーナーの呼吸法(ヒト、人に会う―鶴見俊輔と私;書くことと生きること ほか)
3 「破れ目」のなかで(矛盾と明るさ―文学、このわけのわからないもの;戦争体験と「破れ目」―ヤスパースと日本の平和思想のあいだ ほか)
4 明治一五〇年の先へ(上野の想像力;八月の二人の天皇 ほか)
著者等紹介
加藤典洋[カトウノリヒロ]
1948年、山形県生まれ。文芸評論家。早稲田大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒。『言語表現法講義』で新潮学芸賞、『敗戦後論』で伊藤整文学賞、『小説の未来』『テクストから遠く離れて』で桑原武夫学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
41
タイトルからは右傾化に対する警鐘を想像し、著者もその様なことを端々で言っていますが、論旨はそれとは全く異なる印象を与えます。編集者はその真意を見抜けなくて、本のタイトルの付け方を間違った勿体ない本だと思います。本のタイトルと同じ文章は読み難く錯綜していますので『300年のものさし』を読む方が良いと思います。著者のライフワークである戦後のナショナリズムに関する「ねじれ」を幕末に遡って、尊王攘夷というナショナリズムを現代的に考えようという試みです。歴史は攘夷ではなく開国になったわけですが、尊王攘夷自体は「封建2022/05/23
Mealla0v0
4
「尊王攘夷思想」とは、日本人が自らの手で徳川体制を内側から食い破って生まれた思想であり、それは「外国」に出逢うことで「次善の策」へと変態していった。だからこれを徹底的に思考することは近代のオルタナティヴを構想することに繋がる。福沢から丸山までの議論は興味深く読んだ。後半の、ルソーの話と「ゾーエーと抵抗」も面白い。そして、最後のエッセーにはここ最近の情況をめぐる「なんとも言えなさ」がある。頷きながら、次の一歩をどう踏み出すべきかを考える。2018/01/26
ひろゆき
3
ホッブス、ルソーからドストエフスキーの「罪と罰」「地下生活者の手記」「カラマーゾフ」に至るまでのエゴイズムを扱う問題追究をテーマとする講演は特に面白。目から鱗。ヤスパースのに触れたものでは、戦後日本において、誰に向けるのであれ核戦争はそれ自体が悪という、一見信仰のようにもみえる有力な考えについて、理論的な基礎を与えて論じているのも、刺激を受ける。2018/05/01
v&b
1
あとでメモ2019/06/13
近藤 史也
0
1850年代の尊王攘夷思想と1930年代の皇国思想の相違を明らかにし、現代への警鐘を鳴らす2019/10/31
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