内容説明
パッケージツアーに取り込まれ、商品化された聖地巡礼は、宗教の衰退した姿でしかないのか?四国遍路の巡礼バスツアーへの参与観察から、「現代の/我々の」宗教的営みが持つ可能性を探る。
目次
宗教・ツーリズム・再帰性―宗教的経験のエスノグラフィーに向けて
1 資源化される宗教(信仰の「価値」―聖地をめぐる資源化の力学;巡礼ツーリズムの誕生―宗教と観光の日本近代;巡礼ツアーのエスノグラフィー―二つの「絡み合い」が生み出す間身体的共同経験)
2 日常的宗教環境の再構築(宗教観光業の地域民族誌/経営史―佐渡における宗教的環境の再編;日常における宗教的実践の消長―擬似巡礼儀礼の衰退と演出をめぐって)
3 個の経験からまなざす(巡礼経験者の生活史と自己物語―対話されるリアリティーをめぐって;日常的秩序と超常現象の生態学―ナラティブ・憑依・巡礼経験;「経験消費」の設計思想―旅を通じた「自己」の形成に関する批判的考察;結論)
著者等紹介
門田岳久[カドタタケヒサ]
1978年愛媛県松山市生まれ。東京都立大学人文学部社会学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士課程修了。博士(学術)。専攻は文化人類学・民俗学。日本学術振興会特別研究員を経て、立教大学観光学部交流文化学科助教(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
13
信仰と観光は正反対にある概念(23頁)。信仰の主体は住民だからだろうか。文化と産業の関係も、T.アドルノらの文化産業論を事例に、双方の融合を直視しない社会科学をシニカルに見ていたという(28-29頁)。同行している者たち同士の諍いを収拾するには、ありがたい話で添乗員は丸く収めるという(126頁)。評者もそうした対応をしてみたい。ツアー客同士の人生史・生活史に根ざす伝達に至っていないというので、自分史を持ち寄る行為が今後の課題(128頁)。僕は持ち寄る本を持っている。巡礼旅を通じて人生回顧とダブらせている。2013/10/13
アメヲトコ
6
巡礼がツーリズムの領域に取り込まれた現代。そこでは適度な苦労が用意され、営利的側面は宗教的な装いで巧みに覆い隠され、ハプニングさえ織り込まれ、人々はありふれた「私だけの」経験を消費することになります。しかしそれを商業主義と糾弾するわけでもなく、一方で自分探し的ロマン主義も回避し、普通の人々の「浅さ」そのものの可能性に目を配る筆者のスタンスが好ましいです。力作。2018/01/18
takao
2
ふむ2024/06/10
メルセ・ひすい
2
2011年度東大院総合文研専攻Dr.論文。佐渡の民宿に偉い坊さんがおせったいを受けたお礼に近くの磯部に「磨崖仏」を彫ったという。長年の風雪で摩耗したかあるいは姑から教えられた場所が間違ったか未だに見つからない。お坊さんの名は「確か六部さんという」…実は六部とは諸国巡礼の修行僧の一般名である。仏は見つからなくてもおばあさんは手を合わす パッケージツアーに取り込まれ、商品化された聖地巡礼は、宗教の衰退した姿でしかないのか。四国遍路の巡礼バスツアーへの参与観察から、「現代の/我々の」宗教的営みが持つ可能性を探る2013/05/10