内容説明
なぜ秀吉に愛されたのか?若くして大大名となり、順風満帆だった最年少「大老」を襲った、関ヶ原の悲運。栄光と挫折を味わうも、したたかに生き抜いた生涯をたどり、後世に作り上げられた「貴公子」像を払拭する!
目次
第1部 直家の台頭と秀家の栄華(宇喜多氏領国の確定(宇喜多氏勃興の通説・新説;宇喜多直家の台頭 ほか)
秀家の成長と豊臣大名宇喜多氏(華々しい戦歴;第一次朝鮮出兵の顛末 ほか))
第2部 秀家の没落と復権の夢(宇喜多騒動と関ヶ原合戦(太閤秀吉の最期;動揺する豊臣政権 ほか)
八丈島の「宇喜多一類」(秀家の逃避行と妻子の動向;秀家はなぜ助命されたのか ほか))
著者等紹介
大西泰正[オオニシヤスマサ]
1982年、岡山市生まれ。2007年、京都教育大学大学院修了。現在、石川県金沢城調査研究所々員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ニッポンの社長ケツそっくりおじさん・寺
59
2018年5月23日現在、読メでは書影が表示されていないが、表紙は歴史本によく出てくる宇喜多秀家のハンサムな肖像画である。しかしこの肖像は20世紀に描かれたものなので、秀家の風貌はよくわからない。読メでも木下昌輝の宇喜多ものが評判良いが、実際の秀家さんは関ヶ原敗走当時29歳。流された八丈島で84歳で死去。50年余りの長過ぎる余生は案外幸せなものかと思っていたが、島で長男が発狂していたりして気の毒である。妻の豪姫の実家・前田家は秀家の助命に動かないが、逃亡先の島津家は秀家の為に尽力。「島津に暗君無し」だね。2018/05/23
futabakouji2
9
豪姫は秀吉に気に入られていた。その縁は秀家が豊臣政権の中で正統性を高めるのに大事だった。けど前田はあまり秀家に協力的でなかった。あと表紙の宇喜多秀家の肖像は実像と解離しているとのこと。2019/11/25
BIN
5
近年の研究成果も取り入れられて宇喜多秀家を中心に宇喜多家が描かれてます。宇喜多直家の祖父が謀殺され、かつ父が凡庸で早逝したから不遇な日々を送ったのが通説ですが、同時代資料の裏付けがなく違いそうということ。母は「おふく」という美人というのも、名前自体事実ではないとか自分の中の通説がひっくり返りました。関ヶ原後に八丈島で過ごした50年以上の日々は記録には残らないが、貧乏生活は凄まじかったんだろうなと想像するにあまりある。2019/06/15
チューリップ
3
そんなにページ数は多くないので今までの著者の本でも書いてあるような内容をコンパクトにまとめた感じ。後半に新しい資料から分かった事も載っている。明治以降の流れが何気に面白そうだったので詳細分かったらまた本にして欲しいな。2022/06/15
こまさん
3
文中からも「気鋭の宇喜多氏研究者」という気概がぐんぐん伝わってきて刺激にもなった。もともとの「通説」を知らなかったのだが、金沢藩が八丈島の宇喜多一類に幕末まで援助を行なっていたとは驚きだった。2017/10/20