内容説明
平安京の衰退、長きにわたる応仁の乱により、失われていった大路・小路。一方、「上京」・「下京」の成立や、大路・小路から「通」への変化など、現代につながる新たな動きが。次々に変化していく“首都”京都を、信長や秀吉たちはどのように支配したのか!?
目次
プロローグ 『日本教会史』に記された戦国の京都
口絵 絵で見る戦国京都の大路小路
第1部 戦国時代の都市・京都(城塞都市・京都;大路・小路から通へ)
第2部 惣構のなかの竪小路・横小路(南北をつらぬく竪小路;東西に延びる横小路)
エピローグ 秀吉の京都改造と道路
著者等紹介
河内将芳[カワウチマサヨシ]
1963年、大阪市生まれ。京都府立大学文学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。甲南中学高校教諭、京都造形芸術大学芸術学部准教授を経て、奈良大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
9
戦国時代の京都の大路小路であれば、当然洛中洛外図屏風を参考にしなければならない。南北を走る室町通が上京と下京をつなぐ。現在四条通が北限の下京は当時、押小路が北限。上京も丸太町以北ではなく一条以北に広がっていた。今のように中京区がない分、室町通が両区をつないでいたのだ。上京と下京では惣構で道路を囲んで治安を維持しており、町内で警備員を雇っていた。屛風図にも所々の通を木戸や土塀が囲む様子が描かれている。秀吉によりお土居が築かれ惣構は無意味なものとなり、京は大きく変貌を遂げた。東海道の出発点三条大橋も彼の業績。2020/02/16
浅香山三郎
9
河内さんの本では、『戦国時代の京都を歩く』の系統に属するか。すぐ読めるので、入門書として、あるいは河内さんの京都をテーマにした他の本への手引き書として位置づけられるやうに思ふ。2017/09/05
chang_ume
8
応仁の乱後に成立した、上京・下京がそれぞれ「惣構」で囲まれた「戦国京都」について。京都の道路呼称が、「大路・小路」から現在と同じく「通」に変化した画期を戦国期(天文年間)に求める理解は、町組の成立と合わせて興味深い。市街地中心部の道路幅縮小(「巷所」化)、さらに食い違い状の道路交差点形成が、応仁の乱後の道路両側の共同体=「町」成立と並行するような感触です。考古資料とも照合したいところ。そして特筆したいものが、本書に掲載された絵画資料の印刷質。「上杉本洛中洛外図屏風」の各部が精細に読み取れます。素晴らしい。2017/12/01
はら坊
5
戦国時代の京都の通りについて、多数の文献史料と絵画史料をもとにその実像に迫っている。 応仁の乱以降に惣構や木戸門が張り巡らされた大路小路の姿と、現在の京都の風景を重ね合わせながら読んだので、非常に楽しめた。 一方で両側町の形成など、現在の京都におけるコミュニティの萌芽が見えている点も興味深く思った。 河内先生はあくまで「戦国時代の京都」の実像に迫ることを目的としているが、現代の洛中と比較しながら読むと、より理解が深まるし、より楽しめる。 図版や画像がオールカラーで掲載されている点も大変素晴らしい。2021/05/14
うしうし
5
戦国時代の京都について、①上京・下京の二つの市区に分かれており、堀や土塀で城塞化されていたこと、②道路の一部が宅地や耕地化され、その場所が「巷所」と呼ばれていたこと(p29)、③街路が大路・小路という名称から「通り」と呼ばれるようになっていたこと〔初出は天文9年=1539の「室町通り」(『親俊日記』10月9日条)〕(p26-27)、④釘貫(木戸門)に潜り戸が設けられたものがあったもの(p37)などを学ぶ。また、上杉本洛中洛外図が多く引用されており、筆者の学説に即した解説がなされている。このような京都が、2017/11/18
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