内容説明
濃姫の再婚と没年、信長の長男・信正、桶狭間出陣は尾張今川領回復のため、戦国時代は“尾張”だった伊勢長島など、知られざる新事実を発掘・紹介する。
目次
第1部 青年信長、尾張統一への道(織田信秀のもとで;那古野城の信長と妻濃姫;清須の信長と秀吉)
第2部 信長、「天下布武」への始動(桶狭間の戦い;小牧山城から犬山城へ;岐阜城で“天下布武”を宣言)
著者等紹介
横山住雄[ヨコヤマスミオ]
昭和20年、岐阜県各務原市鵜沼生。犬山市役所退職後、犬山市にて行政書士事務所を開設。業務の傍ら、濃尾地方の中世地方史並びに禅宗史を研究し、周辺地域に残された多くの歴史・宗教史の基礎史料を丹念に猟集し執筆することで定評がある。花園大学国際禅学研究所客員研究員。濃尾歴史文化研究所主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かわかみ
4
アカデミズムの専門的な史学者ではないが、丹念に史料を読み解いている。専門書と新書の中間的な位置づけかなと思われる。桶狭間で討ち死にした今川義元について、亡き軍師の太原崇孚(雪斎)の功績を自分の実力と過信した失敗という旨を書いていたのが印象に残った。ただし、本書はあくまで信長の研究をまとめたもので、義元については感想にすぎない。全体として史料批判の上で史実と思われる事柄を概ね年代順にまとめているので信長ファンには有益だろう。2022/12/12
オルレアンの聖たぬき
2
天下人信長公の『尾張時代』に焦点を当てている。僧侶の残した偈や書状、法語などには実はこれまで諸説あった出来事の年月日の事実が書かれていることがわかる。織田信長が思いもよらない名乗りをしていたのが驚きだった。2022/02/26
ヨシフおじさん
1
本書は犬山城主を信秀弟信康ではなく、織田寛近(宗伝)が務めていたのではないかとしている。 また城主が信清(信康子息)と交代した理由として、天文19年の謀反(『信長公記』内に犬山衆謀反の記述あり)に失敗し、京に逃れたからとしている。 次に稲葉山城の落城時期を『信長公記』だと永禄10年8月15日としているが、その時信長は伊勢長島を攻めていたので約1か月後の9月初旬ではないかとしている(根拠として信長の禁制で最も古いのが同年9月10日、『瑞龍寺紫衣輪番世代蝶写』の永禄10年条など)。2021/04/05
すんすけ
0
織田信長のような有名人でも、実は殆どのことが分かっていないのだということが分かる本。なんと、母の実家の読み方も不明なら、おじの犬山城主の家の系譜もよくわからないらしい。もちろん信長の先祖だって訳がわからないのだ(信長は清盛の末裔を自称していたが今の歴史学会では否定されている)。こんな状況で歴史が論じられてきてしまったのか。2016/10/13
onepei
0
岐阜進出までの通史といった感じ。2012/11/10