内容説明
チッソ水俣工場技術部は、1961年には“水俣病”の原因物質が“メチル水銀”であることをつきとめていた―。1957‐1962年の「チッソ社内研究」を克明に追跡。その時、チッソ幹部はどのような防止策が可能だったのか。
目次
1 チッソ社内研究と細川一―ネコ400号実験まで、そしてその後
2 水俣病発生予防・労働者の水銀中毒防止のための環境化学的研究
著者等紹介
有馬澄雄[アリマスミオ]
1947年、福岡県久留米市生まれ。熊本大学法文学部法学科卒。1969年以来「水俣病研究会」に参加し、“水俣病”事件に関する資料を蒐集・編纂する仕事に携わる
内田信[ウチダマコト]
1951年、佐賀県佐賀市生まれ。大阪大学大学院理学研究科にて、“水俣病”・メチル水銀中毒の研究を深める。1976年、大阪府立高校教員に採用。学生に化学を教える一方、水俣病患者を学校に招いて授業を行うなど、人権教育活動にも邁進した。1989年、論文「水俣病の発生予防・労働者の水銀中毒防止のための環境化学的研究」を発表。2007年、高校教員を退職。その後も、学生時代から強く関心を寄せていた水俣病訴訟への支援を長く続ける。2021年10月、誤嚥性肺炎のため亡くなった。享年70歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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