出版社内容情報
デカルト(1596-1650)は730通以上の膨大な往復書簡を残した。それらはラテン語,フランス語,オランダ語で書かれ,わが国で翻訳されているのは30%ほどで,数学や物理学に関わる書簡は割愛されてきた。
本シリーズ全8巻は研究者の使用に耐える翻訳を作成し,簡潔な歴史的,テキスト的な訳注を施して,基礎資料として長く活用されることを期して企画された。
17世紀において書簡の果たす役割は大きく,それは私的な文書であると同時に複数の人に読まれることを意識して書かれた。デカルトの場合,著作ではあまり触れられない心身問題や永遠真理創造説,形而上学の諸問題,道徳論など多くの哲学的問題に立ち入った議論がなされており,書簡を通してデカルト思想の細部が明らかにされる。デカルトは「書簡によって哲学する」,書簡は「知性の実験室」と言われる由縁である。
本巻は1648年1月から不意の死に見舞われた1650年初頭までの88通,また補遺として9通の書簡を収録。これらの書簡には,アルノーや若い英国人学者との学術的交流,エリザベト王女の行く末を案ずる姿,そしてクリスティナ王女からのスウェーデン招聘など,最晩年のデカルトの姿が記録されている。
最終巻の本巻には,「デカルト略年表」と「全書簡一覧」を収録,今後の研究にとって貴重な資料となろう。
641 デカルトからポロへ(1648.3)[病身のポロへの助言]
642 デカルトからエリザベトへ(エフモント・ビンネン1648.1.31)[『学識論』,動物,最高善]
643 デカルトからメルセンヌへ(エフモント・ビンネン1648.1.31)[水銀柱の高さ,デザルグの実験,パリ訪問の予定]
644 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1648.2.7)[シャニュとの会見打合せ]
645 デカルトからメルセンヌへ(エフモント・ビンネン1648.2.7)[水銀柱の高さ,パリ訪問の予定]
646 デカルトからポロへ(エフモント・ビンネン1648.2.7)[ユトレヒト事件,ポロとの会見打合せ]
647 ワッセネルからデカルトへ(ユトレヒト1648.2.9)[『掲貼文書への覚え書』への答弁]
648 デカルトからユトレヒトの参事官へ(エフモント・ビンネン1648.2.21)[弁駁書の添え書き]
649 デカルトからシャニュへ(エフモント・ビンネン1648.2.21)[女王への文書,フランス旅行の予定]
650 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1648.2.28)[従僕の扱い方への忠告]
651 デカルトからシオンへ(1648.3または4)[年金のお礼,運動の保存,直観と精神の照明,神についての認識]
652 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1648.4.4)[年金贈与の約束,パリの住居]
653 デカルトからメルセンヌへ(エフモント・ビンネン1648.4.4)[水銀柱の高さ,スホーテン批判]
654 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1648.4.30)[スウェーデン女王の讃辞]
655 デカルトからシャニュへ(パリ1648.5)[好意的評価の期待]
656 アルノーからデカルトへ(1648.6.3)[胎児の精神と思考,連続的創造説,空虚の存在]
657 デカルトからアルノーへ(パリ1648.6.4)[二通りの記憶,精神の持続]
658 デカルトからドゥボーヌへ(パリ1648.6.5)[パリでの面会,スホーテンの著書]
659 エリザベトからデカルトへ(クロッセン1648.6.30)[スウェーデンへの旅,女王の母君]
660 デカルトからエリザベトへ(パリ1648.6または7)[フランスの嵐]
661 デカルトからメルセンヌへ(パリ1648.6または7)[円運動,引力,衝突,屈折]
662 エリザベトからデカルトへ(クロッセン1648.7)[旅の準備]
663 アルノーからデカルトへ(1648.7)[胎児の精神,精神と思考,精気を導く力]
664 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1648.7.27)[ユトレヒト事件]
665 デカルトからアルノーへ(パリ1648.7.29)[心身合一,記憶と思考,空虚]
666 エリザベトからデカルトへ(クロッセン1648.8.23)[女王の反対]
667 デカルトからピコへ(ブローニュ1648.9.1)[相続財産管理の依頼,パリからの脱出]
668 デカルトからピコへ(アムステルダム1648.9.6)[メルセンヌ神父への憂慮]
669 デカルトからエリザベトへ(エフモント・ビンネン1648.10)[フランスへの旅]
670 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1648.11.13)[国王からの特認状]
671 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1648.12.7)[相続に関する兄の不当な干渉]
672 モアからデカルトへ(ケンブリッジ1648.12.11)[神の延長,空虚,物体の無限分割性,動物の魂]
673 スウェーデンのクリスティナからデカルトへ(ストックホルム1648.12.12)[謝辞]
674 シャニュからデカルトへ(ストックホルム1648.12.12)[女王の哲学研究の決意]
675 デカルトから某へ(エフモント・ビンネン1648.12.18)[フェルマの短信]
676 デカルトから某へ(1648または1649)[月の運動,動物の記述]
677 デカルトからモアへ(エフモント・ビンネン1649.2.5)[延長,空虚,物体の無限分割性,動物の魂]
678 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.2.21)[友人たちの死,オランダで余生を過ごす決心]
679 デカルトからエリザベトへ(エフモント・ビンネン1649.2.22)[イギリス王の処刑,クリスティナ女王,講和条約]
680 デカルトからシャニュへ(エフモント・ビンネン1649.2.26)[女王,『原理』を読む際の注意点]
681 デカルトからクリスティナへ(エフモント・ビンネン1649.2.26)[手紙への返礼]
682 シャニュからデカルトへ(ストックホルム1649.2.27)[女王のデカルト招聘]
683 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1649.3.2)[フランスの嵐]
684 モアからデカルトへ(ケンブリッジ1649.3.5)[延長と侵入不可能性,空虚,無限,動物の魂,粒子の運動]
685 シャニュからデカルトへ(ストックホルム1649.3.6)[スウェーデン旅行への催促]
686 スホーテンからデカルトへ(ライデン1649.3.10)[ウィンケンティウスの「円積法」,難問の解答依頼]
687 シャニュからデカルトへ(ストックホルム1649.3.27)[旅行時期の提案]
688 デカルトからシャニュへ(エフモント・ビンネン1649.3.31)[スウェーデン旅行の時期,出発の猶予]
689 デカルトからシャニュへ(エフモント・ビンネン1649.3.31)[スウェーデン旅行に対する躊躇,フランス旅行への失望]
690 デカルトからエリザベトへ(エフモント・ビンネン1649.3.31)[旅の下準備]
691 デカルトからブラッセへ(エフモント・ビンネン1649.3.31)[フランスの嵐,スウェーデンへの「散歩」]
692 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.4.2)[かつら,ひげ]
693 デカルトからスホーテンへ(エフモント・ビンネン1649.4.9)[パラドックス,グレゴリウスの誤謬推理]
694 デカルトからモアへ(エフモント・ビンネン1649.4.15)[延長と侵入不可能性,空虚,無限,動物の魂,粒子の運動]
695 デカルトからブラッセへ(エフモント・ビンネン1649.4.23)[スウェーデン行きへの躊躇]
696 デカルトからシャニュへ(エフモント・ビンネン1649.4.23)[フレミング提督の来訪]
697 デカルトからクレルスリエへ(エフモント・ビンネン1649.4.23)[スウェーデン行き,形而上学の諸問題]
698 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.4.23)[スウェーデンに連れて行く使用人]
699 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.5.7と14)[シャニュのオランダ到着]
700 デカルトからエリザベトへ(エフモント・ビンネン1649.6)[スウェーデンへの旅,シャニュ]
701 デカルトからフラインスヘミウスへ(エフモント・ビンネン1649.6)[女王についての情報提供の依頼,情念についての小論]
702 デカルトからカルカヴィへ(1649.6.11)[真空実験,フェルマの難問]
703 カルカヴィからデカルトへ(パリ1649.7.9)[真空実験,ロベルヴァルの批判]
704 モアからデカルトへ(ケンブリッジ1649.7.23)[延長する精神,運動,『哲学原理』への反論]
705 デカルトからカルカヴィへ(ハーグ1649.8.17)[真空実験,ロベルヴァルへの回答]
706 デカルトからモアへ(エフモント・ビンネン1649.8)[天使,運動,物体]
707 デカルトからホーヘランデへ(1649.8.30)[遺産の相続]
708 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.8.30)[二通の反対証書]
709 デカルトからピコへ(エフモント・ビンネン1649.8.30)[ベルゲンへの借金決算]
710 デカルトからホーヘランデへ(エフモント・ビンネン1649.8.30)[残しておいた手紙の処分]
711 カルカヴィからデカルトへ(パリ1649.9.24)[ロベルヴァルとの和解の提案]
712 デカルトからエリザベトへ(ストックホルム1649.10.9)[ストックホルム到着,女王の印象]
713 デカルトからピコへ(ストックホルム1649.10.9)[ブレギー,スウェーデン女王との対話]
714 デカルトからブラッセへ(ストックホルム1649.10.17)[クリスティナ女王への讃辞]
715 モアからデカルトへ(ケンブリッジ1649.10.21)[『屈折光学』と『気象学』への反論]
716 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1649.11.4)[シャニュのこと]
717 デカルトからクレルスリエへ(ストックホルム1649.11.6)[カルカヴィ書簡,ストックホルム着]
718 ブラッセからデカルトへ(ハーグ1649.11.27)[『情念論』への感謝]
719 エリザベトからデカルトへ(1649.12.4)[女王]
720 デカルトからピコへ(ストックホルム1649.12.4)[ブレギーについての情報提供]
721 デカルトからホイヘンスへ(ストックホルム1649.12.4)[ホイヘンスの献本,クリスティナ女王]
722 デカルトからブレギーへ(ストックホルム1649.12.18)[ブレギーへの贈物]
723 デカルトからピコへ(ストックホルム1649.12.25)[ブレギー説得の依頼]
724 デカルトからフィリベール・ドゥラマールへ(ストックホルム1649.12または1650.1)[「夜の冒険」,『平和の誕生』の寄贈]
725 デカルトから某氏へ(ストックホルム1649または1650)[グレゴリウスの円積法]
726 デカルトからブレギーへ(ストックホルム1650.1.15)[スウェーデンでの日々]
727 デカルトからピコへ(ストックホルム1650.1.15)[『情念論』の贈呈]
728 デカルトから兄たちへ(ストックホルム1650.2.10)[死に臨んで]
補遺
729 デカルトからジャンヌ・サンへ(ラフレーシュ1605-1609.5.12)[ラフレーシュでの様子]
730 バルザックからデカルトへ(1636-1638前半)[悪意のなさ]
731 ブルダンからデカルトへ(1640.10)[デカルト批判]
732 デカルトからメルセンヌへ(エンデヘスト1641.5.27)[ガッサンディの反論,『省察』の修正]
733 カラムエルからデカルトへ(1644.7.7)[『省察』への反論]
734 デカルトからマチアス・パソルへ(エフモンド・ビンネン1645.5.26)[フローニンゲン大学評議会の裁決]
735 デカルトからピコへ(1645.7.28)[カラムエルへの返答]
736 デカルトからピコへ(1648.10.2)[メルセンヌ神父の死]
737 モアからクレルスリエへ(1655.7または8)[デカルト書簡の断片についての返答]
あとがき/主要人名解説/関連地図/索引(人名・地名,事項,デカルト略年譜,『デカルト全書簡集』書簡一覧)
安藤正人[アンドウマサト]
翻訳
山田弘明[ヤマダヒロアキ]
翻訳
吉田健太郎[ヨシダケンタロウ]
翻訳
クレール・フォヴェルグ[クレール フォヴェルグ]
翻訳
内容説明
デカルト(1596‐1650)は730通以上の膨大な往復書簡を残した。それらはラテン語、フランス語、オランダ語で書かれ、わが国で翻訳されているのは30%ほどで、数学や物理学に関わる書簡は割愛されてきた。本巻は1648年1月から不意の死に見舞われた1650年初頭までの88通、また補遺として9通の書簡を収録。これらの書簡には、アルノーや若い英国人学者との学術的交流、エリザベト王女の行く末を案ずる姿、そしてクリスティナ王女からのスウェーデン招聘など、最晩年のデカルトの姿が記録されている。最終巻の本巻には、「デカルト略年表」と「全書簡一覧」を収録、今後の研究にとって貴重な資料となろう。
目次
デカルトからポロへ 1648年―病身のポロへの助言
デカルトからエリザベトへ エフモント・ビンネン 1648年1月31日―『学識論』、動物、最高善
デカルトからメルセンヌへ エフモント・ビンネン 1648年1月31日―水銀柱の高さ、デザルグの実験、パリ訪問の予定
ブラッセからデカルトへ ハーグ 1648年2月7日―シャニュとの会見打合せ
デカルトからメルセンヌへ エフモント・ビンネン 1648年2月7日―水銀柱の高さ、パリ訪問の予定
デカルトからポロへ エフモント・ビンネン 1648年2月7日―ユトレヒト紛争、ポロとの会見打合せ
ワッセナールからデカルトへ ユトレヒト 1648年2月9日―『掲貼文書への覚え書』への答弁
デカルトからユトレヒトの参事官へ エフモント・ビンネン 1648年2月21日―弁駁書の添え書き
デカルトからシャニュへ エフモント・ビンネン 1648年2月21日―女王への文書、フランス旅行の予定
デカルトからピコへ エフモント・ビンネン 1648年2月28日―従僕の扱い方への忠告〔ほか〕
著者等紹介
安藤正人[アンドウマサト] [Fauvergue,Claire]
1951生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程。川崎医療福祉大学教授
山田弘明[ヤマダヒロアキ]
1945生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程。名古屋大学名誉教授
吉田健太郎[ヨシダケンタロウ]
1965生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程。愛知教育大学准教授
フォヴェルグ,クレール[フォヴェルグ,クレール]
1964年生まれ。トゥールーズ大学哲学研究科博士課程。モンペリエ大学研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。