内容説明
『思索私記』と『方法序説』(第1部)の読み方を中心に考察、前者では“デカルト哲学”の構築に向けて彼が模索した日々の思索の記録を丹念に分析し、後者では“デカルト哲学”がどのように開眼したかを解明する。これら二つの文献は、『思索私記』はラテン語で『方法序説』はフランス語で書かれたが、このような対蹠的な述作を通して、テクスト的に“知られざるもの”に光をあて、テクスト理解における陰の部分を明らかにする。さらにはわが国のデカルト研究で見落とされ、“知られざる”ままに放置されているデカルト作品の文献学―書誌学的な研究やデカルトの伝記研究について探索と解明の一端を示すとともに、デカルト研究史を辿ることにより、今日の研究の歴史的位置づけを試みた、著者の半世紀におよぶ研究の結実。
目次
序章 “デカルト哲学研究”への覚書
第1章 “デカルト哲学”以前においてテクスト的に“知られざるもの”(『思索私記』序説;『思索私記』その一;『思索私記』その二;『思索私記』その三)
第2章 “デカルト哲学”におけるテクスト的に“知られざるもの”(『叙説(‐試論集)』の一つの読み方について
『省察』の一つの用語をめぐって
一つのデカルト的用語をめぐってl『叙説ならびに試論集』とはいかなる述作か)
附章その1 “デカルト伝記”において“知られざるもの”(“デカルト伝記”の研究への覚書;出生を中心に;遺骨の遍歴をめぐって)
附章その2 遺稿と写本と版本と
著者等紹介
所雄章[トコロタケフミ]
1927年生。東京大学文学部哲学科(旧制)卒業(1950)。同上大学院(旧制)満期退学(1955)。現在、中央大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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