目次
“社会的なもの”をどのように考えるか
第1部 “社会的なもの”と社会学(実践としての行為―規範と心;現実はいかにして“社会的”に構築されるのか;認知主義/記述主義を超えて―会話分析と言説分析)
第2部 “社会的なもの”の誕生と“社会”の編成原理(言説と権力;“社会的なもの”の誕生―規律から統治性へ;“社会”の編成原理と社会学の問題設定)
著者等紹介
田中耕一[タナカコウイチ]
1955年生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。現職、関西学院大学社会学部教授。専攻、社会学理論、現代社会論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Mealla0v0
1
「社会的なもの」とはなにか。あるいは、今日的な意味での「社会」とはなんだろうか。規範か、相互行為か。社会学の概念史を読み解きながら、近代が如何にそれを構成していったkを素描する。▼近代的な意味での社会とは、市民社会、すなわちヘーゲルの言うところの「欲求の体系」であり、経済の領域である。アレントもそう見たが、これはフーコーの統治性の研究と交錯する。著者は、内省=ポリスの対象が人間の活動を対象とした点に「社会的なもの」の誕生を見る。社会問題に対しては規律化かセキュリティ装置による対応を見ることもその延長だ。2017/03/01
Mealla0v0
0
再読。社会的なものを規律権力によって編成されたものと見做し、社会が国家の統治性化のプロセスのなかで生まれたものだとする。社会学における社会の定義とは相互行為の総体だが、これはポリスの統治によって生まれたのだ、として。逸脱の社会学にフーコー的なものを読み込んで、その異常の成立条件=「犯罪がある社会は正常である」から、人口の視線を照射し「社会の自然性」を見る。だが、このような規律的なものによる社会は、ポスト規律社会においては捨て去られることになる。主体は失せ要因が取り出され人口の統治が前景化するというわけだ。2017/07/31