出版社内容情報
道元禅師の著作から選んだ百の言葉を手がかりにして、その生涯をたどりつつ、「生活禅」を確立したその悟りの思想を学ぶ。『正法眼蔵』『普勧坐禅儀』『正法眼蔵随聞記』などから選んだ道元
禅師の百の言葉を手がかりにして、道元の生涯をたどりつつ、「生活
禅」を確立したその悟りの思想を学ぶ。
第一章 心身を放下して行く-求道の道元禅師
道心の手本-宗教的環境/外見でなく人の徳を見よ-故事を伝える
家庭の環境/無情によりて道心を発こす-出家/本来仏ならばなぜ
修行するか-悟りの根源を問う/修せざるには得ることなし-禅の
門をたたく/ほか
第二章 出会いの禅-本物に会う
修行とは一から十まで-老典座に会う/畢竟(結局)じて何の用ぞ
-人に教える前に自分がそれになれ/学道の人衣食に労することな
かれ-中国僧の修行の仕方/煩悩が消えたら仏に出会っている-如
浄禅師と師弟の契り/ほか
第三章 高き色に会わんと思う-求める人々
道本円通-坐禅は仏と一体になる/生死憐れむべし休して又起こる
-深草閑居の思い/無の施設かくのごとく可得なり-般若を説く/
仏道をならふといふは、自己をならふなり-鎮西の楊光秀に与える
/ほか
第四章 一耳は説き一耳は聞く-禅の生き方を説き尽くす
三徳円満し、六味ともに備わらん-台所の作法/作務は喜心・老心・
大心で-労働の心/憎む心で人の欠点を見ない-注意と怒りは違う/
得法せば比丘尼、礼拝を受くべし-法の中には男女一味/空ひろく鳥
飛んで鳥の如し-坐禅の世界/ほか
第五章 春は花夏ほととぎす-今ここで仏を証す
苦界をして発心修行させる-運命の中でこそ仏を見よう/魔に誘われ
て発菩提心をおこす-仏縁の不思議/他のためして自分が楽しむ-自
証三昧の世界/生老病死を場として無心に覚める-病を学ぶ/活きな
がら黄泉に陥つ-あの世で悟りを照らそう/ほか
参考文献
中野 東禅[ナカノ トウゼン]
1930年静岡県生まれ。大本山永平寺安居。駒澤大学仏教学部禅学科卒業、曹洞宗
教化研修所研修生・研修員。駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗教化研修所講
師、主事、駒澤大学非常勤講師、可睡専門僧堂後堂、京都・竜宝寺住職。
著書に『観音経』(講談社)、『心が大きくなる坐禅のすすめ』(三笠書房)、
『良寛 日本人のこころの言葉』(創元社)、『どこでも坐禅 心を落ち着ける』
(洋泉社)など多数。
目次
第1章 身心を放下して行く―求道の道元禅師(道心の手本―宗教的環境;同族体制から個への超克―その出自 ほか)
第2章 出会いの禅―本物に会う(修行とは一から十まで―老典座に会う;他はこれ吾れにあらず―用典座に会う ほか)
第3章 高き色に会わんとおもう―求める人々(空手還郷―朝々日は東に出て当たり前に生きる;道本円通―坐禅は仏と一体になる ほか)
第4章 一耳は説き一耳は聞く―禅の生き方を説き尽くす(三徳円満し、六味ともに備わらん―台所の仏法;高処は高平、低処は低平―あるべきように ほか)
第5章 春は花夏ほととぎす―今ここで仏を証す(苦界をして発心修行させる―運命の中でこそ仏を見よう;百不当の一老なり―求めていればフッとそれになる ほか)
著者等紹介
中野東禅[ナカノトウゼン]
1939年(昭和14年)静岡県生まれ。大本山永平寺安居。駒澤大学仏教学部禅学科卒業、曹洞宗教化研修所研修生・研修員・研修所員。駒澤大学大学院修士課程修了。曹洞宗教化研修所講師、主事、駒澤大学非常勤講師、可睡専門僧堂後堂を経て、現在曹洞宗教化研修所講師、大正大学講師、武蔵野女子大学講師(共に非常勤、死生学・生命倫理担当)、京都・竜宝寺住職。また「医療と宗教を考える会」世話人、「死の臨床研究会」世話人、「儀礼文化学会」評議員、「ナムの会」副総務など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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