目次
1 少年時代
2 私の家族・親族
3 中学・高校・大学時代
4 朝日放送へ入社、報道カメラマンとして―二十代
5 ディレクター、報道記者等を経て―三十代
6 現場の第一線から管理職へ―四十代・五十代
7 私生活をふり返って
著者等紹介
天野正司[アマノショウジ]
1950年、三重県桑名市に生まれる。写真師連合会会長、全日写連副会長などを務めた父に影響され、1968年、報道写真家を目指して日大芸術学部写真学科に入学。73年、朝日放送(本社大阪市)入社。報道カメラマンとしてドキュメンタリー番組制作に深く関わる。被差別部落を描いた「雑草―池田武夫と部落の子―」、飼育係の動物愛「ゾウさんの遺言」、「激震の街、8ミリビデオが見た直後の惨状」、14人の子の母がんに死す「水曜スペシャル、母ちゃん死んでごめんね!」などの撮影・制作。総理大臣賞、ギャラクシー年間優秀賞、放送文化基金賞、関西写真記者協会賞など受賞。報道カメラマンを10年努めた後、「おはよう朝日です」ディレクター、報道記者、国会記者、情報番組プロデューサーを経験後、ニュース担当部長を6年務める。その後、全社改革などに取り組む社長室、人材開発室長として人材育成制度改革を行った後、危機管理担当局長の任を受ける。妻と二人暮し(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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