内容説明
この反対運動は、閑静な住宅街の真ん中を高速道路が通る計画が発表されたことからはじまった。圧倒的な行政権力を前にして、住民運動の経験などまったくない人たちが、どのような知恵を働かせ、強い団結のもと成果を勝ち得ることができたのか―。ここに、時代を超えた一つのモデルがある。
目次
序 常磐自動車道の上に公園緑地ができるまで/その全体像
第一部 「流山の生活環境を守る会」一四年の軌跡(一九七一~七二(昭和四六~四七)年 「流山の生活環境を守る会」の誕生
一九七三(昭和四八)年 建設反対から「地下道要求」へ
一九七四(昭和四九)年 住民同士が対立する中、公団「切土(堀割)構造」を発表
一九七五(昭和五〇)年 その1 市議会議員選挙にチャレンジ、川田さん堂々の当選
同年 その2 市議会の変革が進み、「地下道方式」要求を再確認 ほか)
第二部 常磐自動車道公害反対運動・その後(闘いが終わって―当事者たちの声;常磐道公害反対運動が流山市の市民活動に及ぼした影響(伊勢良一)
父 哲、そして運動の仲間たちが立ち上げた地域の自治活動(辰巳哲也))
著者等紹介
辰巳哲[タツミサトシ]
1935‐2024。宝塚に生まれる。三歳の時に母親が、一四歳の時に父親が亡くなり、北条市(現松山市)の叔父の許で過ごす。高校時代にトロンボーンを始める。松山商業高校を卒業後、日興證券(株)に入社。松山支店を振り出しに新居浜、神戸、銀座、本社総務部、池袋、浦和の本支店に勤務。常磐道問題が勃発した後は、仕事の傍ら休日に「流山の環境を守る会」、「わかば会」など公害反対運動の広報をほぼ一手に仕切って活動。反対運動が終わった後は、常磐道の公害監視活動に加え、1985年週末会社の「(有)初石タウンサービス」の設立発起人となる。高齢化社会を見据えた斬新な発想がメディアにも大きく取上げられ、NPO法人のプロトタイプと評価された。また歯の治療でトロンボーンが吹けなくなりウクレレを始める。教室の先生がリタイアした後は自分が教室を引き継ぎ老人ホームなどで慰問演奏を行う。2024年、老衰のため死去。享年88歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
-
- 電子書籍
- グラップラー刃牙(39) 週刊少年チャ…



