出版社内容情報
全米図書賞受賞作!
子を宿した15 歳の少女エシュと、南部の過酷な社会環境に立ち向かうその家族たち、仲間たち。そして彼らの運命を一変させる、あの巨大ハリケーンの襲来。フォークナーの再来との呼び声も高い、現代アメリカ文学最重要の作家による神話のごとき傑作。
「登場人物の内なるパッションとメキシコ湾で刻々と勢力を増す自然の脅威が絡まり合い、廃品と鶏に囲まれて暮らす貧しき人々のまっすぐな生き様の中に、古典悲劇にも通じる愛と執着と絶望がいっさいの気取りを排した形で浮かび上がる」――「ワシントン・ポスト」
「カトリーナによりもたらされた破壊と、すべてを洗い流された海辺の街の原初の風景について、本書は水没したニューオーリンズの映像よりもはるかに多くを教えてくれる」――「ニューヨーカー」
「ウォードの堂々たる語りには、フォークナーを想起させるものがある。今日的な若者言葉と神話的な呪文のリズムの間を自由に行き来し、パッションの発露を怖れない。苛烈な物語のほぼ全編に、パッションが満ちあふれている」――「パリ・レビュー」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
buchipanda3
103
アメリカ南部の架空の町ボア・ソバージュを舞台とした家族物語。その家族の住む地帯に巨大なハリケーン(2005年のカトリーナ)が襲来するまでの日常と非日常が赤裸々に力強い筆致で描かれており、様々な場面に様々な感情が呼び起こされながら読み切った。著者の他の作品でもそうだったが、生と死から目を背けないと自らへ言い聞かせようとする強い思いが主人公エシュから感じられる。妊娠して戸惑う彼女。でも母親やチャイナ(牝のピットブル)などが示した生きることの逞しさと儚さを知り、その先へと向かう。最後の一文が見せる気高さに感服。2022/02/11
藤月はな(灯れ松明の火)
71
妊娠してしまった事を家族に隠す16歳のエシュ。彼女は尽きる事のない食欲と吐き気、排尿感と戦い、将来と相手への愛と不安が渦巻きながらも家族の世話をする。その対比が次兄が育てる闘犬、チャイナだ。チャイナは時に自分の仔を嚙み殺す程、凶暴だが、次兄スキータを愛しているかのように信頼している。その間もバスケットボールで進学を夢見る長兄ランドールを襲った理不尽な現実、父親の威厳が失われた瞬間など、家族に困難は降りかかる。だが、ハリケーンによって正反対の彼女たちは人智が決して敵わない、本当の理不尽さに襲われる。2021/11/04
ヘラジカ
63
凄い作品だった。闘争と母性の対比、ハリケーンのように渦巻く野蛮性と家族愛が、途切れぬ緊迫感のなかでこの上なく美しく描かれた傑作である。『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』と同じく、極めて狭い世界、個人の体験を描きながらも神話のなかに息づく原始的な生命感に溢れていた。比喩表現を多用した文章は抒情詩のように心に訴えかけてきて、読み終え暫く時間が経った今も木霊のように響き続けている。回顧録も相当な高評価を得ているらしいので是非邦訳してほしい。2021/09/04
Sam
60
強く印象に残る一冊だった。最初のうちこそ日常の一瞬一瞬を切り取りながら比喩を重ねていくような文章に戸惑ったが、ひとたびその世界に入り込めばリアルな世界に浸ることができる。まるで登場人物たちと同じ匂いや熱を感じられるかのよう。とはいえ巻末の著者インタビュー(自分のような未熟な読書には有難い)を読むと、現代のアメリカ文学の潮流とは異なる表現方法を模索し、かつ自身の立ち位置(黒人かつ女性=マイノリティ)や固有の体験(ハリケーン・カトリーナ)を反映させる等、とても戦略的に書かれた作品であることがよく分かる。2022/01/31
天の川
53
ジェスミン・ウォード2冊目。ハリケーンカトリーナが襲来しようとしている地域の貧しい黒人一家の話は読むのにエネルギーが必要だった。次男が常軌を逸したように大切にしている闘犬の出産から始まる物語の語り手の少女エシュは、思索的な一面とともに兄の友人の性のはけ口の役割を受け容れ妊娠している。命と母性、貧困、女性の位置づけがのしかかってくる。闘犬やハリケーンのすさまじい命のやり取りの場面に息をのむ。貧しき者は災害から逃げる手段を持たない。エシュが自身や闘犬チャイナをなぞらえたギリシャ神話のメディアをもっと知りたい。2021/10/06