目次
早川紀伊神社の奉納絵馬
早川の揚繰網
早川を描いた古文書と作品
著者等紹介
西山敏夫[ニシヤマトシオ]
1934(昭和9)年、中郡二宮町に生まれる。1940(昭和15)年4月、二宮尋常高等小学校尋常科入学、終戦の年に六年生となり、小田中(小田原高等学校)への入学を断念し、漁師となる。以来、五代百五十年にわたる相模湾の漁師としてその名を馳せる。1980(昭和55)年、二宮の民話「天馬の夜釣り」から書き始め、それが機縁で、児童文学作家の松谷みよ子、その後、『天の夕顔』の作家・中川与一との知遇を得る。自分の選んだ一本の道「文は人なり」と自分を造り磨き続けていく志を忘れず文筆に励んだ。2012(平成24)年3月『一旦力・セギルベエ!、漁師・西山敏夫の相模湾』(夢工房)、発行。2018(平成30)年9月、天寿を全うし、莞爾とし相模湾に帰る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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うえ
6
小田原の早川紀伊神社の絵馬。明治十二年に奉納されたもので「当時の漁業の形態や、紀伊神社並びに正蔵寺と早川村の集落、そして人びとの風俗習慣を偲ばせ」るものだという。描かれている漁業は、八駄網や、底に沈めておき四辺を四艘で引き上げる四艘張網(シモラシ)である。昼間は中心で撒き餌(カブセ)を撒き、夜間は井桁に組んだ角柱の上で灯火を用いて魚を寄せて捕った。その後、張りたてて置いた網だけを陸方から沖に向かって絞っていき捕る小台網という漁法になり格段に向上。「あれじゃ、根こそぎ捕っちまう」から「ねこせえ」と呼ばれる。2021/04/10