感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
六点
95
廃仏毀釈は明治に入ってから本格化したと、理解していたが、幕末の水戸藩から始まり、ほど無くして鹿児島へ波及したのであることに最初に驚かされた。しかし、藩主一門の菩提寺を破壊し、京や鎌倉等からも位牌を集め埋納したと言う徹底さに言葉を失ってしまった。六点はルーツを辿れば、薩摩半島先端部の、維新後仏教徒に戻った門徒であるので、前半部の一向宗弾圧の記録は、その苛酷さと相まって、恐怖感をしみじみ感じてしまった。また、鹿児島県下を旅する機会があれば、この本にでてきた仏像を見に行きたいと思った。2024/09/20
ネギっ子gen
56
廃仏毀釈の嵐は、鹿児島においては早くも幕末に始まり、その徹底の仕方は全国一の規模。1066の寺すべてが消え、2964人の僧すべてが還俗した。結果、鹿児島からは歴史的な宝物がことごとく灰燼に帰し、現存の文化財は全国最少クラスに。主要廃寺一覧掲載あり。【なぜ「薩摩藩」でなく「鹿児島藩」か?】<島津氏の所領は薩摩・大隅・日向国に及んでおります。それをなぜ一般に「薩摩」で代表させているのかというと、おそらく薩摩地方が鹿児島藩の先進地であるという、暗黙の了解があるのではないかとも思うのです。それがイヤでした>と。⇒2023/07/10
南北
41
読友さん本。鹿児島藩の廃仏毀釈が徹底していたことは知っていたが、歴代藩主たちの菩提寺まで廃絶してしまう(さすがに墓までは壊していない)すさまじいものだったことがわかった。寺請制度がなく、寺と民衆の結びつきが薄かったとか、江戸時代末期から廃仏毀釈を進めていたとか、水戸学の影響があるとかいろいろと分析しているが、決め手となる原因が見えてこない。やはり経済的に困窮した人たちによる過激思想が原因だったのではないかと思う。数少ない事例かもしれないが、仏像などを守り抜いた人たちが存在したことがせめてもの救いだと思う。2021/03/23
mittsko
7
物凄い宗教弾圧だ… 付録の「鹿児島県主要廃寺一覧(判明分)」を眺めるだけで、ゾッとする ※ 最も苛烈な廃仏毀釈が行われたとされる鹿児島藩(著者はあえて「薩摩藩」とは書かない)… 郷土史家の著者は、同志らとともに、その歴史の細部を丹念に再確認、ときに埋もれた史料を掘りおこして、明らかにしていく(限られた史料から言えることだけを言う、その自制心は見事) 著者の問い「廃仏実施者本人たちの本心如何」は、実に的確で興味ぶかい より広い背景にも十分な目配りがなされており、一般的な廃仏毀釈史としても勉強になる2021/02/16