出版社内容情報
島の暮らしを永遠に刻む。
奄美の習俗は柳田国男らにより、日本の原風景を現代に残す貴重なものと、熱い注目を集めてきた。
明治末期に生まれた奄美民俗研究家・惠原義盛。
本書は、消え去りゆく奄美の古俗を後世に伝えるべく、大正・昭和にかけて、著者自ら古老を訪ね、衣食住から芸能、祭礼にいたるまで幅広く記録にとどめた名著『奄美生活誌』を復刻したものである。
内容(目次より)
奄美の村 自治と共助の習俗
奄美の家 その構成とすまいの習俗
奄美の人 ユカリチュとヤンチュの間
南島の山野 食糧調達と製糖の習俗
奄美の海 その楽しみと悲しみ
南島の道 交通と運搬の習俗
ほか全12篇
奄美の至宝、待望の復刊
著者紹介
惠原義盛(えばら よしもり)
1明治38年10月5日名瀬村根瀬部に生る。小学校卒業後家業(農兼機業)手伝。大正12年4月上京、関東大震災に遭う。翌年3月貯金局事務員就職、夜間東京物理学校に学ぶこと5年。昭和5年縁故の招きで台湾に渡り、その経営する金鉱試掘業に従事、7年帰省して青年夜学校を托されて村の青年教育に携わる。昭和9年再上京、10年法務事務官に奉職し、14年府中刑務所看守長、以後南は沖縄宮古島から北は土浦まで各地の刑務所(少年院)を巡り、所長を歴任。その間米軍政下の奄美に於て格子なき牢獄(完全開放刑務所)を営んだことあり。昭和41年3月定年退職、一時電機販売会社の支店長を務めたが退いて郷里で果樹栽培などしつつ著述をする。台湾在住時代東台湾のアミ族の習俗に興味を抱いたのがきっかけで民俗研究に頭を突込み、38年から日本民俗学会員になる。第2回南海文化賞受賞。昭和63年逝去。
内容説明
島の暮らしを永遠に刻む。奄美の至宝、待望の復刊。
目次
奄美の村―自治と共助の習俗
奄美の家―その構成とすまいの習俗
奄美の人―ユカリチュとヤンチュの間
南島の山野―食糧調達と製糖の習俗
奄美の海―その楽しみと悲しみ
南島の道―交通と運搬の習俗
金儲けと行商人の習俗
奄美の衣飾―被服の調達と装飾の習俗:奄美の祝祭―通過儀礼の習俗
奄美の民間療法―手養生と物識りの習俗
奄美の遊びごと―芸能と競技の習俗
奄美のこども―その遊びと玩具の習俗
著者等紹介
惠原義盛[エバラヨシモリ]
明治38年10月5日名瀬村根瀬部に生る。小学校卒業後家業(農兼機業)手伝。大正12年4月上京、関東大震災に遭う。翌年3月貯金局事務員就職、夜間東京物理学校に学ぶこと5年。昭和5年縁故の招きで台湾に渡り、その経営する金鉱試掘業に従事、7年帰省して青年夜学校を托されて村の青年教育に携わる。昭和9年再上京、10年法務事務官に奉職し、14年府中刑務所看守長、以後南は沖縄宮古島から北は土浦まで各地の刑務所(少年院)を巡り、所長を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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