出版社内容情報
教育という行為はどこまで正当化しうるのか。開発途上国で行われる国際教育開発の営みに即し、その是非を理論的に検討する。教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である――
だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?
「開発途上国」に対する国際教育開発においては、“よりよい”水準を願い、価値判断を伴う教育という行為について、批判的であることが求められる。その正当性の根拠を、ポストコロニアリズムの位置性、ケイパビリティ概念、共生思想の検討を通して問い、他者への関与における倫理に求める。
序章 遠離の他者への教育とどう向き合うか
第一章 教育を語ることができるのは誰か
第二章 教育に他者を呼び出す苦しみはあるか
第三章 教育は他者を自由にするか
第四章 他者と共に生きるとはどういうことか
第五章 共生は教育に何をもたらすか
第六章 教育は他者に出会えるか
終章 教育は倫理的でありうるか
橋本憲幸[ハシモトノリユキ]
著・文・その他
内容説明
なぜ教えることができるか。教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である―だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?「開発途上国」に対する国際教育開発においては、“よりよい”水準を願い、価値判断を伴う教育という行為について、批判的であることが求められる。その正当性の根拠を、ポストコロニアリズムの位置性、ケイパビリティ概念、共生思想の検討を通して問い、他者への関与における倫理に求める。
目次
序章 遠離の他者への教育とどう向き合うか
第1章 教育を語ることができるのは誰か
第2章 教育に他者を呼び出す苦しみはあるか
第3章 教育は他者を自由にするか
第4章 他者と共に生きるとはどういうことか
第5章 共生は教育に何をもたらすか
第6章 教育は他者に出会えるか
終章 教育は倫理的でありうるか
著者等紹介
橋本憲幸[ハシモトノリユキ]
1981年、福島県生まれ。筑波大学第三学群国際総合学類卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程人間総合科学研究科修了。博士(教育学)。山梨県立大学准教授。専門は国際教育開発論、教育哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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