教育と他者―非対称性の倫理に向けて

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教育と他者―非対称性の倫理に向けて

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  • サイズ A5判/ページ数 366p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784861106149
  • NDC分類 371.1
  • Cコード C0037

出版社内容情報

教育という行為はどこまで正当化しうるのか。開発途上国で行われる国際教育開発の営みに即し、その是非を理論的に検討する。教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である――
だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?
「開発途上国」に対する国際教育開発においては、“よりよい”水準を願い、価値判断を伴う教育という行為について、批判的であることが求められる。その正当性の根拠を、ポストコロニアリズムの位置性、ケイパビリティ概念、共生思想の検討を通して問い、他者への関与における倫理に求める。

序章 遠離の他者への教育とどう向き合うか
第一章 教育を語ることができるのは誰か
第二章 教育に他者を呼び出す苦しみはあるか
第三章 教育は他者を自由にするか
第四章 他者と共に生きるとはどういうことか
第五章 共生は教育に何をもたらすか
第六章 教育は他者に出会えるか
終章 教育は倫理的でありうるか

橋本憲幸[ハシモトノリユキ]
著・文・その他

内容説明

なぜ教えることができるか。教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である―だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?「開発途上国」に対する国際教育開発においては、“よりよい”水準を願い、価値判断を伴う教育という行為について、批判的であることが求められる。その正当性の根拠を、ポストコロニアリズムの位置性、ケイパビリティ概念、共生思想の検討を通して問い、他者への関与における倫理に求める。

目次

序章 遠離の他者への教育とどう向き合うか
第1章 教育を語ることができるのは誰か
第2章 教育に他者を呼び出す苦しみはあるか
第3章 教育は他者を自由にするか
第4章 他者と共に生きるとはどういうことか
第5章 共生は教育に何をもたらすか
第6章 教育は他者に出会えるか
終章 教育は倫理的でありうるか

著者等紹介

橋本憲幸[ハシモトノリユキ]
1981年、福島県生まれ。筑波大学第三学群国際総合学類卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程人間総合科学研究科修了。博士(教育学)。山梨県立大学准教授。専門は国際教育開発論、教育哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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道聞千里

0
図書館本。 教育と共生について学ぶため第4,5章を読む。以下メモ書き。 ・共生の原意について教育学、哲学、社会学それぞれから確認し、そこから「自己と他者の等価関係を生成しようとすること」と意味づけられてきた。 ・共生という言葉は目的であり過程2022/10/07

有智 麻耶

0
国際教育開発(論)のフィールドを舞台に、〈われわれ〉と〈彼/彼女ら〉の関係を問い直す研究書。学生たちは、善意でカンボジアに行き、善意で学校を建てる。それが悪い行ないだとは言えない。だが、それでよいのか。何の権利があって、〈われわれ〉は〈彼/彼女ら〉に教育を提供しているのか。本書は、教育をしようとする者の手を止めさせるだけの効果がある。だが、躊躇いの先でしか教育は倫理的たりえない。また、本書は理論の立ち位置にも目を配る。理論が実現されるべきだということがあまりに自明視されすぎると、理論の抵抗性は失われる。2019/01/21

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