内容説明
映画だけが知っているもうひとつの「現実」。教師として、批評家として、映画に固有の力を見つめ続け、『映画とは何か』を著したアンドレ・バザン。没後半世紀を超えた今、彼の遺したテキストは、現代アジア映画、宮崎アニメにも通じるのか。リアリズム失効の現代に問う、来るべき映画のための論考集。
目次
1 解放されたスクリーン
2 映画にとって現実とは何か―バザンによるロッセリーニ
3 残酷さの倫理
4 文芸映画の彼方へ
5 「寡黙さ」の話法―バザンと現代台湾映画
6 バザン主義vs宮崎アニメ
著者等紹介
野崎歓[ノザキカン]
1959年、新潟県生まれ。フランス文学者。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。2001年、『ジャン・ルノワール 越境する映画』(青土社)でサントリー学芸賞、2006年に『赤ちゃん教育』(青土社)で講談社エッセイ賞、2011年に『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』(講談社)で読売文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Arol Color
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「岩石の詩学」2021/07/29
フクロウ
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概ねバザン『映画とは何か』の枠を超えるものではない。 ただ、最終章の宮崎アニメとバザンの関係は、親和的にも正反対のものとしても把握しうる──自由な解釈(マキャベリ) 「だが、そうだとしてもなおわれわれのうちには疑問が残る。アニメーション映画がいかにバザン的でありうるとしても、やはりそれは、バザンによる映画的リアリズムと根幹において異質なものではないのかという疑問である。そのこともまた、バザンに即しつつ、いろいろな形で論じることができそうだ。」(野崎歓『アンドレ・バザン 映画を信じた男』205頁)2021/03/06