出版社内容情報
吉備に分布する貝塚遺跡を紹介しながら、縄文時代の概要を解説。
出土した土器や貝類、埋葬の様子から、吉備の縄文人の食生活や暮ら
しぶりを垣間見る! 日本列島全体から見た吉備の縄文貝塚の特徴も指摘する。
吉備の縄文貝塚 目 次
第一章 津雲貝塚の発見
第二章 瀬戸内における縄文時代遺跡の研究
第三章 吉備の縄文貝塚分布
第四章 縄文貝塚の調査
第五章 吉備内陸部の縄文遺跡
第六章 瀬戸内海の形成と縄文貝塚
第七章 瀬戸内地方の縄文土器編年
第八章 貝塚出土の貝類から見た縄文人のくらし
第九章 縄文埋葬
第一〇章 吉備の縄文貝塚をめぐって-中国地方の縄文遺跡の特徴-
吉備地方における縄文時代遺跡・遺物の調査研究の歴史は、東日本地方に比べると遅いが日本列島全体から見ると比較的早くから研究が始められた地域といってよい。これは、吉備南部の地域が瀬戸内海の成立とともに、海域を利用した交通と交易が盛んになってきたことと、そしてまた、波静かな海浜部での漁撈活動や背後の山野での狩猟、植物採取活動にも恵まれた条件を有していたそれらの遺跡が残っていたからであろう。吉備の縄文遺跡については、大正末年から京都帝国大学の清野謙次博士らによる調査研究が始められている。清野博士の調査は、埋葬人骨の発見が中心であったが、その後の研究の基礎となる重要な遺跡が数多く調査され、大量の貴重な資料が収集されている。こうした資料をもとに一九三七(昭和一二)年には、山内清男博士によって初めて瀬戸内地域の縄文土器を全国的な枠組みの中に位置づける編年案が提示され、その後の研究の基礎となった。そして一九六五(昭和四〇)年には鎌木義昌、高橋護、潮見浩、間壁忠彦氏により瀬戸内地方と山陰・中国山地域の土器編年案が示され、縄文土器編年の大綱が確立した。ここで示された編年案は、いまなお中国地方土器編年の指標となっている。
近年においては吉備の縄文時代貝塚・遺跡の調査研究はやや停滞状況にあるが、大正時代から蓄積されてきた資料を新しい視点や研究法の採用によって改めて見直す作業が積極的に進められていることは高く評価してよい。今後の作業の進展によって縄文時代に対する新しい見方も生まれてくるものと期待される。
さて、本書では吉備地域における縄文時代遺跡のうち、特に貝塚遺跡の調査研究の歴史をたどりながら、そのなかで垣間見えてきた吉備の縄文貝塚のいくつかの特徴を描き出すことを目的とした。雑誌や論文集などに発表したものを骨子としており、最新の情報は多くはないが、吉備の縄文貝塚の概要について述べたものである。内容は第二章から第五章では、調査研究の歴史や吉備地方の貝塚の分布と調査、さらには内陸部の遺跡について述べ、第六章では、瀬戸内海の形成と貝塚の成立、第七章では、縄文土器編年、第八章と第九章では、貝塚出土の貝類から見た縄文人の生活と埋葬、についてまとめた。そして第一〇章では、吉備の縄文遺跡・文化は日本列島においても特徴的な境目の文化として位置づけられると定義した。
吉備の縄文貝塚の全容を知るには不十分なところが多いが、遺跡の見学や見方について少しでも参考になれば幸いである。
なお、記述にあたり、間壁忠彦(第三章)、稲葉明彦(第八章)、潮見浩(第九章)氏の論考を引用させていただいた部分があることをお断りしておきたい。また、遺跡の所在地については、現在市町村の合併事業が進行中であるが、本書では旧地名を採用した。
吉備に分布する貝殻遺跡と、それらの遺跡から出土した土器や貝類などから吉備の縄文時代の概要を解説する書。