内容説明
佐藤幸治・井上達夫・土井真一各氏の裁判員裁判肯定論を徹底的に論破し、有倉遼吉氏の「肩すかし判決」批判・百地章氏の「ねじれ判決」批判・井上薫氏の「蛇足判決」批判に応え、ハイエク=嶋津格=落合仁司の自生的秩序法理論およびウィーナー=川島武宜=碧海純一のサイバネティクス法理論の双方の弱点を克服する、独創的な法哲学を構築し、法・裁判・判決への新たな言語哲学的パラダイムを提唱。
目次
第1章 “船”としての法―現代型裁判において法はどのようにして人々を正義へと運ぶ“乗り物”となるのか(“船”という「トリヴィアルでないマシーン」;自己組織性の法;“ウィーナーの船”の限界 ほか)
第2章 “病気”としての判決―憲法裁判の判決はなぜ勝訴者にとって“不快なもの”となることがあるのか(法段階説―A.メルクルとH.ケルゼン;教義学的思考と探究学的思考;上位規範を「簒奪」する「疑法」 ほか)
第3章 “コモンズ”としての裁判―裁判員裁判という裁判を“みんなのモノ”とすることは常に正しいことなのか(“コモンズ”としての裁判員裁判;裁判員裁判の違憲論と合憲論;裁判員裁判とリベラリズム(1)―井上達夫 ほか)
著者等紹介
小幡清剛[オバタセイゴウ]
1956年小幡(小畑)清次郎の長男として、京都市に生まれる。1974年京都府立洛北高校卒業。京都大学理学部入学(後に法学部に移る)。1980年京都大学法学部卒業。1984年京都大学大学院法学研究科博士課程中退。1995年京都大学法学博士。京都大学助手、京都大学大学院講師、姫路獨協大学助教授、同教授など歴任。現在、姫路獨協大学名誉教授。法哲学・法社会学・法人間学研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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