著者等紹介
ラガルス,ジャン=リュック[ラガルス,ジャンリュック][Lagarce,Jean‐Luc]
1957年生まれ。70年代後半よりブザンソンを拠点に劇作のほか俳優、演出家としても活動。死後とくに評価が高まり、現在、フランスで最も上演され、各国で翻訳されている劇作家である
齋藤公一[サイトウコウイチ]
20世紀フランス演劇専攻。早稲田大学、慶應義塾大学ほか講師
八木雅子[ヤギマサコ]
演劇・俳優の社会的認知と地位の変遷を主に研究。早大演劇博物館助手、同大学非常勤講師等を経て学習院大学大学院身体表象文化学専攻助教(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
PukaPuka
4
タイトルの訳としては、映画の「たかが世界の終わり」の方が、軽く皮肉が効いて、筆者の意図に合っていると思う。 映画で、アントワンヌのルイへの態度があまりに激しいので、原作に興味がわいて読んでみた。映画は原作よりその部分を取り分け際立たせることで、筋をわかりやすくしているように見える。家族というものがますますわからなくなっているとき、こういう作品には、なぜかむしろ救われる。2019/09/05
まろすけ
4
『まさに世界の~』は妙にごつごつして読みづらい。物語的筋立てが薄く、文意がぶつ切りになっているからだと思う(ここでいう物語とは、登場人物個々の半生のナラティブ。個々人が抽象的な主観を応酬し、それぞれが噛み合わず宙に浮く)。たぶん作者の意図的な言語表現。読み物として精製された話し言葉ではない、生ものの語りをそのまま文章化しようとした試み、かな?もちろん生のまま「のように魅せる」技巧として。それかシンプルに訳者の腕。というのは『忘却の~』は違う訳者で、こちらは読みやすかったので。まあ、原作の作風の違い、かも。2018/09/11
nightowl
2
余命が長くないと思われる長男が家族と再会するもうまくいかない関係を書いた前者、家を売ろうと集まった人々がメインテーマを語らずにぐだぐだ語る後者。それぞれが要点などを考えずに喋る日常会話的な作品。その分、かなり翻訳の限界を感じる。堅さが拭えない取り繕ったものが付きまとう。もう少しくだけた訳文でもよかったのでは...舞台はオーバーな感情表現が多くて苦手という方にはいいかも。2022/06/11
HODGE
1
『まさに世界の終わり』を読んだ。多分、こんなストーリーだと思う → ”不治の病で死ぬことを予期しているルイが、自分の死後の世界はどのようなものかを知るために数年ぶりに実家に帰る。ルイが死ぬということを家族が実際にどの程度理解しているのかは定かではないが、ルイは自分が死ぬことによって家族がどの程度動揺するのだろうかと彼らを観察し、そのような情景を彼らの言動から読み取り想像する。そしてこの劇の最後、ルイは多分、世界の終わりについて理解する──「僕が残念に思うことになるのは、こんな感じで忘れていくことさ」”2015/12/24
死体のようなふくろう
0
論文書くために 2018/08/08