内容説明
かつてトヨタと共に日本の二大総合自動車メーカーとして発展し、「技術の日産」「輸出の日産」と言われた日産自動車が、4兆円超の有利子負債を抱えて経営が破綻、フランスの国営企業ルノーに救済を求め連結子会社になるまでに凋落した。いったい何があったのか。英国工場進出で労組が反対の記者会見をして以来、労使の対立抗争がマスコミを賑わせたが、やがて会社が仕掛けたスキャンダルで表舞台から去った自動車労連会長の証言。いまその歴史の真実が明らかになる。
目次
第1部 形成期―昭和二十八年~三十九年(一九五三~一九六四)(全自動車日産分会と民主化運動;日産労組の結成と活動)
第2部 発展期―昭和四十年~五十一年(一九六五~一九七六)(日産・プリンスの合併;産業別組織の結集―自動車労協から自動車総連へ;私とILO)
第3部 挫折期―昭和五十二年~六十一年(一九七七~一九八六)(日米自動車摩擦と労働外交;日産迷走経営の真実;日産崩壊もう一つの要因)
第4部 塩路後の日産(日産自動車の崩壊;史実の改竄)
多国籍企業問題と日本の課題
著者等紹介
塩路一郎[シオジイチロウ]
1927(昭和2)年1月1日、東京・神田に生まれる。1939(昭和14)年第1東京市立中学校(現九段高校)入学。1943(昭和18)年海軍機関学校入校。1945(昭和20)年海軍兵学校舞鶴分校卒業。1953(昭和28)年明治大学法学部卒業、日産自動車株式会社入社、日産自動車労働組合常任執行委員。1959(昭和34)年日産自動車労働組合書記長。1960(昭和35)年米国ハーバード大学ビジネススクール卒業。ICFTU、全民労協、同盟、IMF・JC、自動車総連、自動車労連の役員。1986(昭和61)年退任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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