ビルケナウからの生還―ナチス強制収容所の証言

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ビルケナウからの生還―ナチス強制収容所の証言

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  • サイズ B6判/ページ数 440p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784846110093
  • NDC分類 956
  • Cコード C0022

内容説明

著者モシェ・ガルバーズは、生還が不可能と言えるアウシュヴィッツ・ビルケナウ他、数カ所のナチス強制収容所で、1942年から45年まで3年間、生き抜いた。本書はその苛酷で想像を絶する体験を、イディッシュ語と拙いフランス語で記憶の無数の破片を書きとめつづけた証言をもとに、40年後に息子のエリ・ガルバーズが、フランス語の文章にまとめ上げた証言の書である。

目次

プロローグ ワルシャワからパリへ(中庭;祖父母と叔父たち ほか)
第1章 最初の収容所(ピティヴィエ収容所;一九四二年七月十七日、ドイツの強制収容所に移送される ほか)
第2章 地底の炭坑夫(炭坑へ;ヤヴィショヴィッツ炭坑作業地 ほか)
第3章 逃避行(ヤヴィショヴィッツ炭坑作業地の最後;強制収容所の最後 ほか)

著者等紹介

ガルバーズ,モシェ[ガルバーズ,モシェ][Garbarz,Mosh`e]
1913年12月12日、ポーランドのワルシャワ郊外プラガで生まれる。子ども4人の最年少。父親は1915年に死去。1929年、ワルシャワの革職人工房で技術を習得後、パリに移民。革職人として原型から裁断、釘打ち、縫製まで特殊技術をこなす。1935年、ラシェル・ステルヌキャツ(パリ生まれ)と結婚。1939年、長男エリが誕生。1941年、ユダヤ系外国人として仏警察に捕まり、フランス中部ピティヴィエの収容所に拘留される。1942年7月、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に移される。ヤヴィショヴィッツ炭坑作業地に移され、1944年末、「死の強行軍」を生き延び、ブーヘンヴァルトのロケット弾製造工場で働く。1945年、チェコのテレジエンシュタット(ドイツ語読み)で解放され、パリに帰還。1947年初頭、次男が誕生。アウシュヴィッツで亡くなった叔父の名前ジャックと命名。戦後、革製品製造の小企業を設立。工場が火災に遭い、新しい企業を設立。定年退職後、南仏に購入したアパートとパリのあいだを行き来する。2001年、妻が死去。2010年3月31日死去。パリ20区のペール・ラシェーズ墓地に埋葬される。

ガルバーズ,エリ[ガルバーズ,エリ][Garbarz,´Elie]
1939年11月7日、パリ18区で生まれる。1950~57年、パリのヴォルテール高校に在学、バカロレアCコース(ラテン語・数学科)に合格。1958~60年、グランドゼコール進学準備校ルイ・ルグラン高校に在学。1960年、国防省所管の理工系グランドゼコール、ポリテクニックに入学。1962年10月卒業。1962~63年、陸軍少尉として兵役をおさめる。1963~65年、パリ政治学高等学校及びパリ大学統計学科に通学。財政省保険監督部に就職。1972年、保険監督チーフに。1975年、保険監督国際機構のフランス代表に就任、1979年までガボンに駐在。以来20年間、カメルーンの保険国際学院で教授を務めるとともに、アフリカ諸国やアンチーユ諸島、欧州連合でも種々の特命任務をはたす。5カ国語に堪能。1999年、財務省保険監督部長として定年退職。

小沢君江[オザワキミエ]
1942年生まれ。1961年、AFS留学生として米国に1年滞在。1965年、早稲田大学仏文科卒。1971年、夫ベルナール・ベローと渡仏。1974年、ベローと共にイリフネ社創立。堀内誠一氏の協力を得てミニコミ誌『いりふね・でふね』創刊。1979年、無料紙『オヴニー』発刊。1981年、民間文化センター「エスパス・ジャポン」創立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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キクチカ いいわけなんぞ、ござんせん

21
人間とは本当にここまで残酷に卑劣になれるのかとつくづく思った。恐ろしい死亡率の中で、毎日凄まじい暴力にさらされながらも幸運に恵まれて生き延びる。生きて解放されても、祖国(ポーランドだ)にもどったら住民達に殺されてしまったユダヤの人々もいる。どうしてこんなに憎まれていたのだろう?何度この手の本を読んでも本当にすっきりわからない。自分にとって「外人」は白人黒人、最近はアジア系、のざっくりしたくくりしかなかったのだ。わからんぞ。2017/03/30

えふのらん

3
飢餓と暴力が支配する収容所の記録、思いきやビルケナウだけではなくアウシュヴィッツ、フランスのピティヴィエ等々収容所を歩き回ったつわものだった。働いていた職場も様々で、整地作業から石切り、炭鉱、看護室、そしてカナダや特殊任務班まで回っている。(さすがにゾンダーコマンドにはなっていない)。基礎体力はもちろん、各々の職場への適応力、コミュニケーションもかなり高い。2022/02/23

Arte

1
ビルケナウの話がとにかく物凄い(暴力団そのものの囚人頭に、大量の収容者が毎日棒で殴り殺されていく)。元々ポーランドの貧乏ユダヤ人だった著者の幼少時の暮らしぶりも興味深い。2011/03/23

沙章

1
辛い話でした。よくこんな地獄から生還できたと。人間の本性は悪魔なのでしょうか?戦争はこのような信じられない地獄を人間の手で作ってしまうのですね。2010/08/23

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