内容説明
『ノルウェイの森』と『コインロッカー・ベイビーズ』で一躍、時代を象徴する作家となったふたりの村上。その魅力と本質に迫る吉本隆明の「村上春樹・村上龍」論。16年間の思索の軌跡を示す全20稿を集成!
目次
イメージの行方
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』
解体論
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
像としての文学
走行論
村上龍『ニューヨーク・シティ・マラソン』
村上龍『愛と幻想のファシズム』
村上春樹『ノルウェイの森』
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
瞬間論
現在への追憶
反現在の根拠
村上春樹『国境の南、太陽の西』
「現在」を感じる
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部・第2部
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第3部
形而上学的ウイルスの文学
村上春樹『アンダーグラウンド』批判
著者等紹介
吉本隆明[ヨシモトタカアキ]
1924‐2012年。東京月島に生まれる。東京工業大学電気化学科卒業。詩人、思想家、文芸批評家。詩人として出発し、1950年代に文学者の戦後責任論・転向論で論壇に登場。長期にわたり言論界をリードして「思想界の巨人」と呼ばれ、時代と社会に多くの影響を与えた。『夏目漱石を読む』で小林秀雄賞、『吉本隆明全詩集』で藤村記念歴程賞、永年の宮沢賢治研究の業績により宮沢賢治賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
65
これらの新しい作家たち、村上龍・村上春樹は文明生活の限界を像・イメージの集約力だけで示そうとしていると見た。村上龍は現実的な人間の快楽行為の本質を提示する以外にどんな意味も与えようとしないことが創作のモチーフと断ずる。村上春樹は喩の作り方がうまく、作者の文体が長い年月の果てに生み出したひとつの達成というべきと論ずる。村上龍「料理小説集」Subject5は瞬間を表した不朽の名作。村上春樹「蛍」に現れる多彩な像が文学作品を芸術にしている本質と指摘。吉本隆明がこれら20もの論によって彼らが「現在」を象徴する⇒2019/09/26
aloha0307
24
「思想界の巨人」と呼ばれ、詩人でもある吉本氏が80年代前半当時、新進気鋭であった”二人の村上”(即ち 龍さん、春樹さん)を、性器愛の不可能と情愛の濃密さの矛盾として、愛の不可能の物語を描いた初めての作品とし、純度をかつてないレヴェルまで高めた、とした。”ノルウェイの森”での直子の言葉の反射、動作に少しのテンポの緩さで心の病を表現したとされます。龍さんは、”瞬間”の連続で成り立たせるドラマを言語行為として表現...こころの病と健常の狭間で揺れ動いているのだね。2019/12/29
tokko
22
村上春樹と吉本隆明の名前につられて買ってしまったけれど、ちょっと読むのはまだ早かったかなぁという印象を持ちました。その一つが村上龍の作品を全く読んだことがなかったことです。もちろん各章ごとにそれぞれの作品について論じているから、作品を読んだことがなくても素通りできてしまいます。けれど吉本さんが言おうとしていることを正しく読もうと思ったら村上龍さんの作品についての批評も、どういうことか理解した方がいいような気がします。というわけで次は村上龍さんの作品を読み漁ろうと思います。で、もう一度この本に戻ってきます。2019/12/14
しんすけ
16
面白いが期待外れを感じさせる本である。村上龍と村上春樹の作品比較論を期待していたのだが、それは一切ない。 編集後記には吉本隆明が「ふたりの村上」なる作品を用意していたような記述があるが、表現が不適格で実態が把握できない。 収録の一つ「走行論」は太宰治分析とも云うべき作品であり、その崩壊的思考と破綻的性格の側面が充分に描きだされている感がある。 以降では村上龍と村上春樹は単独の批評作品として語られていくが、現代日本文学に内在する崩壊的表現の起源を語ったようにも思う。 2019/12/14
KAMAKURA
11
稀代の批評家による村上春樹、村上龍の現代文学を代表するふたりを中心とした批評集。 (このタイトルでは誤解されやすいが両村上を比較して論じているわけではない) 純粋理念的理解の不可能性を感じつつ読み了えたが、 ときには背伸びしてこの手の本に手を出すことも読書の幅と深さと奥行きを得るのに大事だと思う。 《春樹の主人公「僕」は卑小な社会的外観をもちながら、偉大な欠陥のないこころを発揮している。 破滅をかけてやることなど、ほんとはなくなってしまった現在では、この「僕」は充分にヒーローの条件であり得る》同感である。2020/04/19