“ツイッター”にとって美とはなにか―SNS以後に「書く」ということ

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“ツイッター”にとって美とはなにか―SNS以後に「書く」ということ

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  • サイズ 46判/ページ数 344p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784845923106
  • NDC分類 801.03
  • Cコード C0010

出版社内容情報

なぜ「書くこと」が〈わたしたち〉を隔て

〈わたし〉を引き裂くのか?



インターネット環境とデジタル・デバイスの

発達によって「書くこと」と「話すこと」が

限りなく近接する現代の状況を

哲学・日本語学・批評・文学・美学の知見から

縦横無尽に論じる

「Twitter」時代の終焉に捧ぐ、

大スケール言語文化論!





なぜ声をそのまま文字にできないのか?

なぜ炎上は起きてしまうのか?

なぜSNSで熟議は生まれないのか?



その答えを探るために、本書が議論の礎とするのが、「書くこと」と「話すこと」とのあいだに鋭い対立を見出した吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』である。



第一部では、吉本の主張に沿って、書くことは言葉の〈自己表出〉性と〈指示表出〉性とのあいだで自身を引き裂かれる「疎外された労働(カール・マルクス)」であることが確認される。ほかにも、日本語詩のリズムについて論じた菅谷規矩雄、言語活動の成立条件として〈主体〉〈場面〉〈素材〉を挙げた時枝誠記、「書くこと」による精神の発展史を記述したG・W・F・ヘーゲル、〈かつてあった〉ものとして写真を論じたロラン・バルトらが言及され、本書における重要な論点が提示される。



第二部では、写真・映像文化の黎明期における西洋の言語活動を、様々な「指示表出」と「自己表出」のアレンジメントの表れとして分析する。「指示表出」の体系を転倒させる遊戯を試みたルイス・キャロルに対して、「自己表出」の無軌道な噴出としての「犯罪」を描いたコナン・ドイル。シャルル・ボードレールが称揚した「現代性」を体現するかのようなギュスターヴ・クールベやエドワール・マネの絵画。ジャン?リュック・ゴダールが主張したように、「イメージ」と「言葉」を巡る権力配置の問い直しの可能性を秘めたサイレント映画。映画的視覚による「観察」を小説に書き留めたフランツ・カフカ、「サイレントからトーキーへの移行」を自身の思想に反映させたルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン……それら西洋の文化圏を根底で規定する「音声中心主義」について、ジャック・デリダ、J・L・オースティンを参照しつつ論じる。



第三部では、現代的な日本語が定礎された時代の日本の作家たちについて考察する。『文学論』で普遍的な「言語活動」の枠組みを提示しようとした夏目漱石、それに対をなすかのように「口誦文学」の伝統を更新しようとした正岡子規、「ローマ字日記」によって都市を描写しようとした石川啄木、そして『古事記』を「天皇の声」を記録したものとして捉えた本居宣長にまで遡り、その『古事記伝』について論じた小林秀雄の「近代性」につい

内容説明

なぜ「書くこと」が“わたしたち”を隔て“わたし”を引き裂くのか?インターネット環境とデジタル・デバイスの発達によって「書くこと」と「話すこと」が限りなく近接する現代の状況を哲学・日本語学・批評・文学・美学の知見から縦横無尽に論じる「Twitter」時代の終焉に捧ぐ、大スケール言語文化論!

目次

第1部 言語論を再起動する(ケータイを失くす/菅谷規矩雄の『詩的リズム』;時枝誠記の『国語学原論』/「相田みつを」の“場面”について ほか)
第2部 一九世紀のオペレーション・システム(ルイス・キャロルとコナン・ドイル/ヴィクトリア朝の「指示表出」;写実主義という「表出」/ボードレールの「現代性」 ほか)
第3部 近代日本の境界面(『文学論』と『俳諧大要』/夏目漱石と正岡子規;石川啄木の短歌と借金/「ローマ字日記」という表出 ほか)
第4部 疎外・退行・排泄による更新(『世界認識の方法』/“大衆”という概念について;「書かない」ことの領域/「対幻想」とプロレタリア文化 ほか)

著者等紹介

大谷能生[オオタニヨシオ]
音楽と批評の活動。サックス/CDJ/PCなどを組み合わせた演奏で多くのバンドやセッション、録音に参加。演劇・ダンス作品など舞台芸術にも深く関わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

15
〈ツイッター〉にとってというより、実際は「書く」ことがメディアとどのような関係を結ぶか、というもっと大きな話題。ヘーゲル~マルクス~吉本ラインの、「書く」ことが知性の契機であると同時に自分からの「疎外」であるという話。バルトの、写真が「書く」ことの変化を機能させないという話。かつて、「書く」が知識階級の独占所有だったことに対して、「書く」と「話す」が混在したまま大衆に共有されるSNSの登場。その歴史と可能性を、あらゆる作家(デリダ、フーコー、夏目漱石、橋本治、小林秀雄etc)を召喚させながら紐解いていく。2024/01/03

タイコウチ

12
難解(笑)。(自分ではほとんど読んだことのない)時枝誠記、吉本隆明、ヘーゲル、バルト、カフカ、フーコー、小林秀雄らの思想・作品を言語のメディア論として読み解き、「書くこと」と「話すこと」の距離感を消失させるインターネット(SNS)が万人に開かれた現状で、かつては「書くこと」の特権であった「自分が作ったものが自分とは疎遠な対象になる」という「疎外」の経験が行き渡り、「大衆」が「歴史」の主体へと生成しつつある、と説かれる。重要な契機となったのは、写真とレコードの発明。「歌というフィクション」と合わせて要再読。2024/04/27

なつのおすすめあにめ

6
吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』へのオマージュをタイトルに持ってきた「ツイッター」について書かれた本、ということで期待して読んだ一冊。吉本隆明以外にも様々な文学やら哲学を盛り込んでおり面白い。声を文字にする、この行為を理解しないままスマホの普及でSNSを利用する人が増えたらどうなってしまうのか、トランプ現象などの社会問題にも関係してくる。「そんなに考えてSNSなんかしていないよ~」という話ですが。そう言えば宇野常寛も『遅いインターネット』にてLINEと対幻想を対比させて論じていたが、言及はなかった。2024/06/02

yoyogi kazuo

4
思ったより読みやすかったが、SNS以後に「書く」ことの意味について、論旨が明確に掴めない。繰り返し読む必要がある。2023/12/04

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