目次
第1章 1923年~―生活を再発見する:考現学の誕生(考現学(今和次郎・吉田謙吉))
第2章 1954年~―高度経済成長を逆読する:都市と周縁と(アルバム・銀座八丁(木村荘八)
藝術風土記(岡本太郎) ほか)
第3章 1970年~―路上観察学会という事件(林丈二的考現学(林丈二)
建物のカケラ(一木努) ほか)
第4章 1993年~―豊かさへのアイロニカルなまなざし(既にそこにあるもの(大竹伸朗)
珍日本紀行(都築響一) ほか)
第5章 2011年~―「観察」は未来を見抜く(農民車製作プロジェクト(ログズギャラリー)
つなぐもの/かぶすもの(下道基行) ほか)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ミテイナリコ
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さまざまなメインシステムから逸脱した状態に価値を見出す。 さまざまなものを観察する事、傍観者になる事で対象物は初めて価値あるものになる。 見向きもされない、無関心で通り過ぎていたものが、じつはとても面白いものだったりするのかもしれない。 2017/02/15
アニッチャー
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アートにおける都市観察の表現史。観察することによって、ふだんは気にとめることもなかったものの形態的特徴が突出してくる。社会的習慣的な視点からズレると、ありふれたものも「オブジェ」として現れてくる。興味深いのは、そのようにして見出された事物や現象が、いつも「おかしみ」のあるものであるということ。観察者の都市歩行は笑いに包まれている。2014/04/27
5〇5
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無作為あるいは異なる視点の妙。2014/03/07
鯨、或は山田
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人々の生活、或いはそこからにじみ出る何かを「表現」ととらえ、それをある視点から切り取る、という営み。芸術、民俗学、サブカルなどに横たわる学際的な視点ではあるが、データの蓄積を主眼に置いているために、体系立てて整理することはない。そもそも、根底はやはり「表現」、ということなので、軸足はやはり学問的、というよりは芸術的、と呼ぶべきなのだろう。「表現を見る主体」と「見せる主体」がある面でシノニムになり、そこが情報のハブかつメディアとして機能している点は非常に興味深く思う。2013/03/07
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