感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
179
九州の素封家の長男に生まれ、初めプロレタリア文学を目ざした鹿地は大陸に渡り、日本兵捕虜による反戦運動を展開した。戦争が激化するにつれ、国民党と共産党の亀裂が深まっていく。鹿地の工作隊は、夜陰に紛れて日本軍前線に近づき拡声器で呼びかけ、掃射を受けながら決死の反戦工作を行った。日本側の記録に《終夜たえまなき銃砲声と鹿地亘の反戦マイクの叫ぶなか、昭和十四年除夜の一夜を過ごしたのである》とあり、日本側に〝反逆〟ではなく〝反戦〟と明確に伝わっている。このことからも鹿地の行動が両軍の士気に影響を及ぼしたことがわかる。2025/05/11
BLACK無糖好き
15
国内の左翼文化活動に対する弾圧を逃れ中国に逃亡、魯迅ら中国人作家との出会いを経て、1938年日本の中国侵略に反対する論文の発表をきっかけに、国民政府から招請され、反戦平和活動にのめり込む。日本人捕虜の教育や文筆活動に励み、「反戦同盟」を組織し支部の拡大を図るも、国共関係悪化に伴い活動も制限されていく。延安では共産党が積極的に支援した事もあり、野坂参三らの「反戦同盟」は順調に発展した。アメリカが各日本人反戦組織(重慶:鹿地亘).(延安:野坂参三)を利用しようとした目論見はとても興味を引く。2018/09/18