目次
1 『羅生門』の読解―“作者”と末尾との関わり
2 『城の崎にて』の読解―語る「自分」と語られる「自分」
3 「語り手の気づきと変容」―クライエントとしての語り手・李徴
4 小説『こころ』の分析―その構造から(先生の贖罪、そして「私」の贖罪)
5 『夢十夜 第六話』再考―「それで…略解った」と言ってしまう教育ある者の危うさ
6 太田豊太郎―「弱くふびんなる心」をめぐって
7 小説『高瀬舟』考―人情家「同心庄兵衛」と「オオトリテエ」
8 夏目漱石の思想の現在―「自己本位・私の個人主義・そして則天去私へ」(附)『こころ』のKのモデルについて
9 これからの高等学校の小説教材における試み―「テクスト論」応用の可能性
10 堀辰雄『曠野』―光と影の演出
著者等紹介
宮脇昌一[ミヤワキショウイチ]
法名:大游。博士課程の単位取得修了で高等学校の教員となったいわゆるオーバードクターである。専門教科である国語にもまた書道にも、とことん教材を追究して授業に臨んできた。あるとき某大学へのお誘いがあったが、実家の寺の縁が切りがたく、あきらめざるを得なかった。しかし、それが逆に論文を書き溜める原動力にもなった。思えば、夏目漱石も参禅した円覚寺での経験は、後の漱石研究との因縁を感じる。法名の「大游(タイユウ)」は、鈴木大拙・大愚良寛、師匠大燈光顕(父)にあやかりながらも、何事にも拘りつつ、かつ拘りなくありたいがために、波間に漂うイメージを「たゆたう(游)」に託した。昭和29年、兵庫県「曹洞宗成國寺」に生まれる。平成21年、成國寺住職に補任される。教職は、初任以降35年間勤め、現在も国語・書道の時間講師として定時制高校にて教鞭を執る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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