目次
第1次インドシナ戦争とアメリカによるラオス介入の起源
1954年ジュネーブ会議とアメリカの対ラオス政策
1954年ジュネーブ会議後のアメリカの対ラオス援助体制の構築
1955年選挙とアメリカの干渉
アメリカによるパテート・ラーオとの合意への反対と国内的安全保障
1958年補完選挙とアメリカの干渉
1958年補完選挙後のラオス内政とアメリカの干渉
1959年危機と軍部・CDNIクーデター、1960年選挙
ラオス内戦とアメリカ―1960年コンレー・クーデターと本格的内戦の開始
ケネディ政権の登場とラオス軍事介入計画
1962年ラオス「中立化」の成立とアメリカ
ラオス「中立化」の崩壊と第2次インドシナ戦争
終章
著者等紹介
寺地功次[テラチコウジ]
広島県呉市出身。東京外国語大学英米語学科卒業、東京大学大学院社会学研究科(国際関係論専攻)博士課程満期退学(国際学修士)、イェール大学大学院政治学部(M.A.)。白梅学園短期大学教養科専任講師、共立女子大学国際文化学部専任講師をへて、現在、共立女子大学国際学部教授。この間、国立民族学博物館地域研究企画交流センター共同研究員、ジョージ・ワシントン大学シガー・アジア研究センター客員研究員。専門はアメリカ政治外交論、国際関係論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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BLACK無糖好き
20
第二次大戦後のインドシナへのアメリカの介入、ラオスの「中立化」に至るまでの関与、その後の武力介入〜ベトナム戦争への流れの中で、アメリカの政府関係者の思考や政策実態がどのように推移したのかを体系的に分析している。アメリカは、ラオスにおいてベトミンが支援する左派勢力パテート・ラーオを排除し、西側指向の反共主義的政府の成立を目指し、大量の軍事援助や政治的介入を行ったが上手くいかなかった。◇アメリカの本格的軍事介入が1965年との、ウエスタッド含め従来のベトナム戦争研究の見方に対し、1964年が転換点と指摘。2022/05/25
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第1次インドシナ戦争とアメリカによるラオス介入の起源 第2次世界大戦後のラオス情勢とアメリカ 1954年ジュネーブ会議とアメリカの対ラオス政策 1954年アメリカの対ラオス援助体制の構築 1955年選挙とアメリカの干渉 1958年補完選挙とアメリカの干渉 1958年補完選挙後のラオス内政とアメリカの干渉 1959年危機と軍部・CDNIクーデター、1960年選挙 ラオス内戦とアメリカ ケネディ政権の登場とラオス軍事介入計画 1962年ラオス中立化の成立とアメリカ ラオス中立化の崩壊と第2次インドシナ戦争2021/11/12