内容説明
ジャンボ機は、暗い熱帯の空をゆっくりと下降し始めた。“偉大なる小島”シンガポールが近づく。ゴムの林、やし油をとる農園、トタン屋根の村落、そして摩天楼。熱帯の太陽やエキゾチックな花々を思い出してリーは、ほほ笑んだ。喜びがこみあげてくる。来てよかったわ。そのとき、隣席の男がたずねた。「こちらへは、初めてですか」「いいえ」と答えながら、リーの灰色の瞳に涙があふれた。リーは自分自身に驚いた。防護用の冷淡な仮面の奥に感情を押しこめてしまったつもりだったのに。シンガポール―そこはリーがかつて、愛をなくした場所だった。