内容説明
遠州灘から流され太平洋を漂流484日。北米サンタバーバラ沖で救助された千石船『督乗丸』船頭・重吉ら3名は、異国での困難を乗り越え日本への帰国を目指す…。漂流記の白眉『船長日記』の世界史的価値はどこにあるかを示す意欲的論考。
目次
第1章 日記の概要
第2章 宗堅寺と日記の真筆本
第3章 供養碑の建立と成福寺への移転
第4章 重吉を育んだ佐久島と半田
第5章 『船長日記』の信憑性を疑う意見
第6章 『船長日記』を事実とする確証と傍証
第7章 『船長日記』の価値
第8章 漂流記、とりわけ『船長日記』に魅せられた人々
第9章 『船長日記』との関わり
著者等紹介
村松澄之[ムラマツスミユキ]
1932年、愛知県北設楽郡生まれ。45年、新城農蚕学校林科へ入学後、新城高校普通科へ移る。51年、千葉大学文理学部を経て、昭和医科大学卒。遺伝、進化、宗教等に深く興味を抱く。母校で内科学の研修後、70年新城市で内科医院を開設。40年近く恩師鈴木太吉師の主治医を務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
10
1年半にわたって太平洋を漂流した後、カリフォルニア沖でイギリスの帆船に救助され、ロシア経由で帰国した小栗重吉。高田屋嘉兵衛がゴローニン事件でカムチャッカへ連行された数年後の事件であり、重吉らを松前へと連れていったのは嘉兵衛の弟、嘉十郎だった。15年後に同じ知多半島の船にのり、やはり1年以上にわたって漂流した山本音吉は、幕府の海禁政策変更で帰国できなくなってしまう。ちょっとしたタイミングの違いで、半田に戻れた重吉と戻れなかった音吉。海と歴史の波に翻弄されてはいても、彼らの生き様には明確な意思が感じとれる。2017/08/12
arakan
0
太平洋を484日も漂流した江戸時代の船乗りの口述を記録した『船長日記』。世界最長とも言われる過酷な漂流の実相、イギリス船による奇跡的な救出劇、さらにアラスカ〜ロシアのカムチャッカ半島を巡って日本に帰国するまでの数奇な体験。その信憑性を様々な文献や実地調査によって考察した本。 著者は、奇跡的な生還を果たした船頭・重吉の故郷である愛知県在住の郷土史家。記述に冗長なところはあるけど、同郷の隠れた英雄の真実を浮き彫りにしたいという執念に溢れた一冊でした。2019/01/22